♪雨が空から降れば♪2012年07月01日

 朝6時前、蒲団が恋しい気温に目覚めた。寝ながら朝刊に目を通す贅沢な時間である。今、8時25分、強い雨音に外を見ると降っている。空梅雨かと思っていたが、いよいよ梅雨末期の大暴れに入るのでしょうか。今日は富士山の山開きというが、無事、御来光を拝まれたんでしょうか。
 こんな時は、本田路津子の『雨が空から降れば』を聞こうか。
http://www.youtube.com/watch?v=ho2K234m9S0
 20歳位のころ、ステージで歌う生の路津子さんの歌を聞いたことがあった。美しい歌声に一辺にほれ込んでしまった。どんな歌だったかは忘れた。多分、『秋でもないのに』だろう。
 後年、CDを探していて、レコード屋のおやじと話した。彼女は結婚を機に引退したよ、と言っていた。賢い生き方だね。とも。ところが、つい最近、ユーチューブでゴスペル歌手として現役に復帰されたことを知った。その動画もあるが、今も美しいには違いないが、往時の声はもうない。あれから約43年の歳月を思うとまた再び聞けるのが不思議な気がする。

♪なかす雨♪2012年07月02日

 WEB版朝日新聞を読んでいたら、「博多で山笠、小倉で祇園太鼓 福岡の夏の風物詩が幕開け」との大見出しに、これって島津亜矢歌うところの「なかす雨」の舞台?と思った。
 歌だけでは、博多の地名から想像するだけであったが、こうして実際の写真を見るとリアリティがあり、歌もより親しめる。
朝日は
http://www.asahi.com/national/update/0701/SEB201207010026.html
 歌は雨の日に雨をテーマにした歌をネットサーフィンしていて偶然発見した。気に入って、毎日聞いているし、テープも購入した。CDが欲しいのだが、どのアルバムにも入っていない。いい歌なのに不遇な扱いのB面の歌なのである。
 歌も東京の女が博多の女(歌ではおごじょ)と恋を競い合うという内容だ。地方色の濃い歌である。A面の相生に比べるとややネクラだが、リズム感の盛り上がりがとても良い。歌詞も星野哲郎作品であり、よく練られている。
http://www.youtube.com/watch?v=5EjhZ_jbZwU

剣岳に登ろう!2012年07月05日

 7/4、定例会で今月末に剣岳に登ろうと最終決定した。当初から増えて7名が行くことになった。そこで遅まきながら情報収集にと「山と渓谷」と「岳人」の7月号を購入。剣岳はもう30年前に登っている。早月尾根から再登したかったが賛成する人はゼロ。事情が変わっているかもしれないとの思いからだ。
 付録の地図を読むと剣岳の銀座コースよりも周囲の2000m級の山の破線路に興味を引かれてしまう。やっぱり、こんな変なルートは単独行になるかも知れない。
 他に「岳人」にはこの冬から春にかけて三重岳連主体の大捜索のレポートが掲載されている。執筆者の矢島さんは中日新聞社名古屋本社の記者らしい。Nさんに聞くと「一将功成りて万骨枯る」みたいな記事ではなく、客観的な事実のみをと、取材に応じられたようだ。誰かの思いが滲み出ると齟齬をきたすからだ。
 7/14発売の「岳人」は単独行をテーマに特集をする予定になっている。是非、一読させてもらおうか。ヤマケイでも岳人でも年に1回は単独行を特集する。多分、相当な需要があると思う。人恋しい思いがするほどどっぷり山に浸かる、それは単独行ならではの魅力。妄想を排して冷静に判断することができる人がふさわしいのだが。想像力を駆使してリスクを考慮する能力も必要だろう。
 定年後開業して2年、***士らしい初仕事も決まった。自分へのボーナスとして、そろそろ、山行を活発化したい。

『東海山岳』11号発刊!2012年07月06日

2012.7.1。公益社団法人日本山岳会東海支部が発行。DVD版付録(社)日本山岳会東海支部設立50周年記念記録DVD。252ページ。
・東海支部50年史 1961~2011 
-『東海山岳』1号から10号を一次資料として支部活動の「あゆみ」をたどった。適宜、支部報も採用した。活躍された多くの先輩たちが次々、他界されていく昨今を思うと一度はまとめておく必要はあった。1970年朝日新聞後援の一大イベントだったマカルー東南稜を語れるのは本当にもう数名しかいない。
 新聞社の後援も昭和39年当時は登山教室を朝日新聞で開催するなど蜜月時代が続いたが、いつしか、中日新聞社が力をつけて、今は皆、中日新聞後援になった。登山教室は朝日新聞、中日新聞、NHKと充実のカリキュラムで継続している。
 50年以上にわたる会員歴を誇る先輩もいた。生き字引みたいな先輩が直前に亡くなられて、生き残ったものとしては、残された資料に基づくしかなかった。ある意味で思い入れが少ない分、客観的な叙述になったのではないか。一部の人には、未だ、生々しい人間関係の確執がよみがえることを考えると、それで良かったと思う。一部の人には50年程度では歴史というよりも過去なのである。
 
・海外登山 5座
・国内登山 北アの沢
・研究    5本
・随想    安曇野だより
・追悼    4名
・年表などで構成。

奥美濃・高屋山の沢を溯る2012年07月08日

 7/7、Yさんと合流し、予定の17時に少し遅れて、名古屋を出発。まだまだ明るい。テントサイトに近い上大須ダムではほたる狩が行われていたがパス。一般の人にはほたるさえ珍しいものになったのか。
 私にとってほたるは物悲しい思い出につながる夏の虫である。前夜発で空地に一夜のテントを張るとどこからか、ほたるが乱舞するのが見える。あれっ、ヘッドランプが近づいてくる?誰だろう?ああ、あれは過去に亡くなった山の友人がほたるに化身して、おまえ達楽しそうだなあ、気をつけて登れよなあ、と遊びに来るように思えてならないのである。
 今回は、メンバーが5人と揃ったが1人は都合で遅くなり、4人で宴会となった。宴会後は早めの就寝となったが、零時ころから突然暴走族のような爆音にびっくりさせられた。元気な奴がいるわいと我慢して寝た。一時半頃まで続いて静寂を取り戻した。昨年聞いた、ホトトギスは今年は声音が下手でまだそれらしく聞こえない。
 飲みすぎたビールの所為で何度も夜中に小水で起きた。4時半ごろにはもうごそごそしだし、明るくなって二度寝は出来なかった。7月になったとはいえまだまだ明け易いこの頃である。
 朝食には遅れてきたW君も加わって、こってりした朝食をとった。残り物にウドン、ご飯などごった煮のような感じがする。
 目指すは高屋山のある根尾越波(おっぱ)の登山口である。廃村越波は夏だけ来る村民の生活(たつき)の煙が上る。食べていければこんな良い所はないのだが。
 記録のない沢なので、現地で確認するのに手間取った。8時過ぎ、3人は沢から、2人は尾根から登ることになった。道すがら、出会った、区長さんはオクノマンタニと教えてくれた。車のナンバーは一宮だったから今は息子さんの家に同居しているのだろうか。近くの看板には奥の廻り谷とあった。
 道路に面した谷口はヤブに覆われ、腰が引ける。無理矢理、ヤブをくぐっていくと視界も広がった。堰堤を越える。平凡な沢を溯るとしばらくで伏流となり、水が枯れる。水のない沢は日本アルプスの登山道みたいに歩けるから早いピッチで登れた。地形図で表現された平に着いた。一帯は栃の群生地であった。葉を数えると七枚あるので七葉樹を当てることもある。栃の実は昔の山びとの貴重な食料品であったから大切に保存されているのだろう。錆びたワイヤーロープを見るとブナは伐採されたのであろうが栃だけは保存されたのだろう。栃の実せんべい、栃餅などに加工されて、山の味となって今も残る。ああ、一つでも食べたい。
 しばらくすると水が現れて、涼しい。冷たい水が気持ちいい。ブナなどの濃厚な緑の空間を溯れた。着いた稜線の標高は1100mもあろうか。所々、鉈の切れ目が入って、藪が切り開かれている。好きものの仕業かな。若干で山頂に着いた。
 山頂は平で切り開かれてくつろぎ易い。背の高い樹林に囲まれて展望はない。じっと座っていると、風が通り、涼しい。別働隊の2人が来ないので、休んだ後は下山した。ルートには赤のテープがあり、踏み跡を辿れる。尾根は主にブナが主体となっている。所々、踏み跡が途絶えて、迷い易い。若干下ったところで、別働隊がやっと登ってきた。下の方で迷ったらしい。
 尾根は急になる。木の枝を掴み、ブレーキをかけながらの下山になる。樹林帯の中の低潅木の中を下るが赤テープは頻繁にある。但し、漫然と歩いていると、倒木でふっと見失うのでまたうろうろ探すことになる。別働隊がつけた赤い布も見たからこの辺で迷ったか。そこは杉の植林地帯との境目付近だった。杉は立派に育っているが、日を遮るまでに育つには、年数がかかる。その間に潅木が成長して道をあやふやにするのだろう。
 尾根は益々急になって、沢にすとんと落ちる感じで終わった。きれいな沢をまたぎ、もう一つまたぐと、草地を経て、県道に出た。しばらく登ると車に戻った。
 早速、スパッツを外して蛭をチエックすると小さな奴が1匹、大き目が1匹とこの時期、この山の石灰岩質、気象などを考えると、意外に成果はなかった。但し、Yさんは生足を露出していたので、遡行中から蛭に好かれていた。何匹もとっては殺している。その度に防虫剤を噴霧していた。ヤブを忌避してきたYさんにはスパッツなどは不要だったのである。「記録のない沢もいいね」といったのは多分に負け惜しみもあっての呟きだったかも知れません。
 これでW君は『ぎふ百山』を一座ゲットし、60座くらいになったとか。沢とスキーで登る『ぎふ百山』ツアー(ミニ宴会付き)はまだまだ続きます。

村上和雄・講演会「遺伝子ONの生き方」を聴く2012年07月11日

午後1時半から名南税理士法人主催で村上和雄先生の「遺伝子ONの生き方」をテーマに講演を拝聴した。
 最初は動画を観た。http://mind-gene.com/
の中にある動画を大きなスクリーンで再生された。その後で生のスピーチになった。遺伝子という難しい学問の話をユーモアとウイットに富んで楽しく、話された。笑いと感動が可能性を引き出すということ。笑いが大変重要なこと。
 遺伝子オンは環境でスイッチが入るという。すると戦前の日本人の対米戦争も白人になにくそ、と向かっていったのも遺伝子の働き?というべきか。幕末には生麦事件でイギリス人を切りつけて、薩英戦争を起こしている。
 人文的には統帥権干犯とか明治憲法の欠陥からくるリーダー不在とか様々な研究、憶測、想像がある。理屈抜きでアメリカを相手に戦うバカとも言える行為は理解できない。大人しい日本人でも何かをきっかけに遺伝子にスイッチONするとどんな大国でも向かっていくことになる。清国でもロシアでも当時は最強の大国だったのだ。
 生物学の今西錦司は出典未詳だけれど、変わるときには皆変わると、著書に書いていた。村上氏も京大農学部OBであり、ダーウィンの進化論に疑問を持っているので今西学(自然学)の継承者だろうか。話が面白いところも良く似ている。
 環境の変化によって、批判的だった人も賛意を示して変る。結果を恐れず突き進む日本人の遺伝子は戦後はアメリカに次ぐ経済大国に成長させたし、今は、3.11以来、世界から称賛の的らしい。
 笑い、というと日本文学、芸能の水脈の一つに滑稽がある。猿楽、狂言、漫才、にはか、俳諧、川柳など伝統につながるテーマである。
 63歳で大学を退官した後は自由に研究して来られた。きっかけはアメリカが米の遺伝子を研究することで火がついたようだ。今は76歳という。

 私も61歳で開業して、会社員は延長せず、生活環境を変えて、遺伝子ONした。どんな成果が得られるかは神のみぞ知ることだが、バカに生きることがこんなに楽しいものとは知らなかった。

鮎の宿「花いかだ」2012年07月15日

http://www.hana-ikada.com/

 梅雨の時節には是非鮎を食べたい。そう思って山仲間を募る。いつもの根尾能郷の「源屋」に電話するが中々でない。まさか廃業ではないだろうなと心配しながらも再三電話してやっと出られた。聞くと主人が病気でもう5ヶ月も休業中という。問い合わせの電話が一杯来るのになんともやるかたない感じだった。私がお手伝いに行きたいが・・・という。例えば生簀から魚をすくって調理場に持ち込む位は・・・と。そこからが肝心なのよーと一笑に付されてしまった。健康を取り戻しつつあるそうなので、直ったらまた行くね、と断念。元気で健康を過信していたらしい。こんな人は一度寝込むと長引く。早く治ってください。
 それでも諦めるわけには行かず、鮎の本場の長良川周辺ならあるだろうとドライブする。美濃市の小倉公園に遊んだ。小山をそっくり公園に整備された。名園らしいが今は寂れた気がする。頂上まで徒歩で登って展望台に立つ。眼下には濁流の長良川が見下ろせる。対岸には料理屋が見える。北の三角錐は高賀山か。
 美濃市の道の駅で鮎を食べさせる店を問うと「花いかだ」を紹介してもらった。山上から見えた料理屋だった。そこは通年では蕎麦屋であるが、冬は猪鍋、きのこなど季節の料理を出している。
 今時は鮎料理ということになる。天然鮎料理一式で4500円とやや高いが季節料理はやむをえない。最初に小鉢もの、塩焼き、刺身、子鮎の天ぷら、甘露煮、鮎寿司、締めは手打ちそばであった。定番の鮎雑炊、フライはなかった。刺身(洗膾=あらい)は抜群に美味だった。元は寿司屋だったから魚の扱いがうまいのであろう。満足。

梅雨雑詠2012年07月15日

  7/8 梅雨の谷(下大須、越波、高屋山)

ホトトギス鳴き声のまだととのはず

ビール飲み山談義する湖畔かな

草茂る谷の入り口さへ塞ぐ

山村に煙上がりし夏の朝

山びとは草を刈りつつけぶらせり

山蛭に備え虫除けスプレーす

万緑の谷清冽な水浴びし

夏の木のことに栃の木残されし

休むたび取り付く蛭を引き剥がす

ヤブ漕いで汗流しつつ登頂す

頂の三角点や夏木立

夏木立ブナある限り止められず

下山後は素足となりて蛭探し

金輪際山の蛭には親しめず

  7/14  鮎の宿「花いかだ」

梅雨出水川幅広し長良川

白波の泡立つ梅雨の長良川

長良川借景にして鮎の宿

山葵添え長良の鮎の洗膾かな

鮎寿司の一口大の小ささよ

トムラウシ山遭難・再考2012年07月16日

 今日の中日新聞朝刊に「トムラウシ遭難から3年」、「遺族 募る怒り」と大見出しが出た。「捜査進まず」ともあり未解決をにおわせる記事になっている。
 過去に拙ブログでも都度、採りあげてコメントしてきた。
   低体温症の怖さ
http://koyaban.asablo.jp/blog/2010/07/16/5222954
   トムラウシ遭難事故最終報告
http://koyaban.asablo.jp/blog/2010/02/25/4907555
    同上   追記
http://koyaban.asablo.jp/blog/2010/02/26/4909666
  北海道の山の遭難事故の反省点
http://koyaban.asablo.jp/blog/2009/07/25/4457664
  北海道の山の遭難事故にショック
http://koyaban.asablo.jp/blog/2009/07/17/4441299
 大切な家族を山で亡くした遺族の立場で考えると怒りが込み上げるのも理解はできる。専門家による最終報告では自己責任という記載もあった。これも遺族からは不満になる。そこで道警による捜査で旅行会社の刑事責任を追及してもらいたい、というのが記事の骨子だろう。
 立山・大日岳の雪庇崩落事故では民事責任は立証されて国は多額の賠償責任を負わされて遺族に支払った。ところが刑事責任までは問われなかった。
http://www.dailymotion.com/video/xcg1js_yyyyyyyyy-yyyyy_news

 法律の専門家である弁護士はどう見ているか。自分で登山もやる弁護士の溝手康史氏は山岳雑誌にも登山の法律問題を寄稿している。
溝手法律事務所のHP
http://www5a.biglobe.ne.jp/~mizote/index.htm
HPから
「5、ツアー登山における自己責任の範囲
 いかなる登山でも一定の危険性があり、登山に参加することはそのような危険を了解していることを意味する。道路を歩く歩行者は、自動車の通行による危険を承認したうえで歩行するわけではないから、原則として歩行者に危険性の承認はありえない。しかし、歩行者といえども、横断歩道以外の場所で車道を横断すれば一定の危険性を承認しているとみなされる。
 日本の裁判所は危険の承認を違法性阻却事由として扱わない傾向があり、危険の承認は注意義務違反を判断する諸事情の1つとして考慮することになるが、山岳地帯は本質的に危険であるにもかかわらず、自分の意思で敢えて行うのが登山であるから、危険の承認の有無は注意義務違反を判断する重要な事情と考えるべきである(「岳人」2006年9月号172頁参照)。
 もっとも、ツアー登山においては、契約に基づいてツアーガイドが案内することが前提となっているので、参加者の危険の承認はあくまでツアーガイドの安全配慮義務を前提としたものとなる。そこでは、ガイドが一般的なレベルの能力、技術、経験を有し、ガイドとしての一般的なレベルの安全配慮義務を尽くすことを前提としたうえで、それでも通常予想される程度の危険は参加者が承認しているとみなされる。
 例えば、冬に北アルプスの登山を行うのであれば、参加者は冬山の寒気や危険を承認して参加したものとみなされる。冬山など自然の持つ危険性は、ガイドがついていてもいなくても変わりはないからである。したがって、通常程度の冬山の風雪の中で疲労と寒さのために体力を消耗し、悪天候による停滞中に疲労凍死したとしても自己責任である。また、天候が悪化したために、荒れ狂う風雪の中を下山中に動けなくなり、凍死しても自己責任とされる場合が多いだろう。もっとも、このような事態をガイドが容易に予見できるだけの事情があり、容易に回避できるような状況があれば、ガイドが予見義務違反、結果回避義務違反の責任を問われることがある。
 では、風雪が強い中で冬山経験の豊富な客が敢えて登頂することを望み、山頂アタックを試みたが、予想以上の悪天候のために遭難した場合、風雪が強い中で敢えて山頂アタックを試みたガイドに法的責任が生じるだろうか。
 「ガイドは客の安全を守る義務がある」という点を形式的に理解すれば、「現実に天候が悪い中で行動をし、そのために遭難したのだから、遭難を予見することは可能であり、ガイドには登山を中止すべき注意義務があった」と結論づけることは容易だろう。しかし、ここで重要な点は、一定の程度の危険を承認したうえで客が行動を選択した点である。現実には、悪天候は予想以上であり、そのために遭難したのであるが、山岳という自然の持つ危険性を予め正確に予測することは不可能であり、ある程度の冬山経験のある客が悪天候の中で行動することを敢えて選択したことは危険の承認といえる。ただし、ガイドが行動中に遭難の危険を容易に予見できたとすれば、ガイドは途中で登山を中止して下山すべき注意義務を負う。この場合、悪天候の中で登山を決行したことがガイドの過失になるのではなく、遭難の危険を容易に予見できたのに、途中で登山を中止しなかったことが過失となる。
 他方、冬山登山の参加者が初心者であるような場合には、客が「どうしても登りたい」と言っても、天候が悪ければガイドは登山を中止すべき注意義務を負う。この場合、初心者の客が「どうしても登りたい」と言ったとしても、登山の危険性を十分に判断できるだけの能力に欠けるので、公平の見地から危険の承認があったということはできない。
 前記の穂高岳ガイド登山事故では、新雪のラッセルに時間をとられ途中で時間が足りずビバークが避けられなくなったとしても、それは11月の北アルプスでは想定された事態であり、危険の承認の範囲内の行動である。したがって、仮に、ビバーク中に疲労凍死したとしてもガイドの責任を問うことはできない。しかし、時間不足のために予定を変更して雪崩の危険のあるルートを下降することによる危険は、11月の北アルプスの縦走登山では想定外のものである。したがって、この事故により客が遭難したことに危険の承認があったとはいえない。
 唐松岳ガイド登山事故については、悪天候のために下山ルートを見失い、ビバークすることは冬山登山で予想される危険の範囲内のことであり(出発時に、下山ルートを見失う危険を予見することが可能だった場合は別であるが)、ガイドに法的責任は生じないだろう(この事故では死亡したのがガイドなので法的紛争になりにくい)。
 他方、前記の谷川岳ガイド登山事故は残雪期の岩登りであるから、滑落の危険性があることは客も想定しているといえる。ただし、ガイドが滑落することが予見できるような場所でロープをはずすように指示したとすれば、ガイドの安全配慮義務違反が問われることになるが、この事故の具体的状況が不明なので何とも言えない。
 一般的には、悪天候であれば、当然にガイドに登山を中止すべき注意義務を負うというものではない。客にそれなりの体力や技術があれば、少々の悪天候でも登山を安全に実施できないわけではないし(現実に、羊蹄山ツアー登山、十勝岳ツアー登山事故、トムラウシ・ツアー登山事故、白馬岳登山事故でも、遭難することなく行動できた客がいる)、客に悪天候による危険性の承認があれば客の自己責任になるからである。しかし、一般にツアー登山では客はガイドにとって初対面であることが多く、ガイドが客の体力や技術を正確に判断することが難しいことが多いので、ガイドは客にそれほど体力や技術がないことを前提としたうえで行動を考えなくてはならない。少々の悪天候でも行動をすることが許されるのは、ガイドがそれまでに客と行動を共にしたことがあり、客の力量を正確に把握でき、登山の形態や状況から客が登山の危険性を十分に理解し、判断しているとみなすことができる場合に限られる。その場合でも、万一、ガイドの予想に反して客が悪天候に耐えることができず遭難に至ればガイドの判断が的確だったかどうかが法的に問題となるので、ガイドとしては敢えてこのようなリスクを犯さない方が賢明である。
 前記の羊蹄山ツアー登山事故の場合で言えば、台風の通過直後であり、登山当日は悪天候が予想され、出発前に2人の客は登山を断念した。他の客は参加することにしたのだが、参加者はある程度の悪天候を予想していたと言え、その限りでは出発時点では一定の危険を承認していたとみなされる。しかし、9合目付近で風速毎秒15メートルくらいあり、パーティーが崩壊状態となったのであるから、そのままでは安全に客をガイドできないことをツアーガイドは予見できたはずである。この時点で、登山を続行するか、あるいは、どのように行動すべきかはツアーガイドの判断によって決定されるべきことであり、客には選択すべき能力もそれだけの状況にもなかった。そのまま登山を続行したことは極めて危険なことであったが、それを客が自ら決定したとして危険の承認があったと言うことはできない。
 要するに、羊蹄山ツアー登山事故の場合には、死亡した客は出発時における悪天候による一定の危険を承認していたが、9合目付近ではガイドに全面的に頼るしかなく、山頂付近での客の行動は自己決定に基づく危険の承認があったとはいえない。
 なお、このケースではガイドに安全配慮義務違反があるのだが、現実には、客が出発時において予想される悪天候による登山の危険を認識していたとは思えないフシがある。余りにも安易に旅行会社主催のツアー登山に参加する傾向が問題とされている(これはガイドの責任とは全く別の問題である)。地図、磁石、雨具、ヘッドランプ、非常食等を持たないツアー登山参加者は参加する資格がないのだが、添乗員が大の大人を相手に所持品検査はできず、、せいぜい、「雨具、ヘッドランプをちゃんと持っていますね?」と言うくらいのことしかできないのが現実でだろう。天候のよいときであれば添乗員でも安全にガイドできるかもしれないが、悪天候や降雪があった時に、添乗員にそのような登山の経験がなければ十分に対応できないし、あるいは、客が崖から転落しかかったような場合に添乗員が適切に救助できる技術を持っているとは思えない。添乗員によるツアー登山の場合、そのような危険を了解したうえで参加するという自覚が必要である。仮にガイドに安全配慮義務違反の責任が生じたとしても、失われた自分の命は戻ってこないのであり、登山者には、「いざとなれば、自分の命は自分で守る」という自覚が必要である。
 羊蹄山ツアー登山事故、十勝岳ツアー登山事故、トムラウシ・ツアー登山事故は、いずれも、ガイドが、客の体力やルートファインデイング能力を見誤ったことが遭難に繋がっている。「この程度であれば、この客はついてこれるはずだ」とか、「この客はまだ歩けるはず」とガイドは考えたのだが、それに反して客の状態はもっと悪かった。ガイドはその客とほとんど初対面であるにもかかわらず、なぜ、そこまで客の能力を過信することができたのだろうか。恐らく、トムラウシ・ツアー登山事故の場合には、「できれば、他の客を登らせてやりたい」などのガイドの心理が働いたのではないかと思われる。羊蹄山ツアー登山事故の場合には、最初に登頂したのは添乗員と客1人だったという状況からすれば、この添乗員自身が個人的にどうしても登頂したかったのではないかと思われるフシがある。
 ガイドは、客の能力を冷静に観察し、判断に迷えば、客の登山能力を低めに見積もって判断すべきである。
 ガイドが下山を決定したにも関わらず、客がそれを無視して登山を続行する場合は、その後の客の自己責任に属する。あるいは、ガイドが雨具を付けるように客に指示したにも関わらず、雨具を着用しない場合には、それは客の自己責任に基づく行動である。
 ガイドと客が冬の岩壁登攀をするようなガイド登山とか、ヒマラヤの高峰のガイド登山など極めて危険性の高い登山では、ガイドが客の安全を確保することが困難なことが多いので、客の自己責任の範囲が広くなる。」

 「自分の命は自分で守る」自覚が必要。

 登山には超法規的な部分がある。そう思う。細かいルールを決めておいても、現場で守りきれるかどうかは分からない。

 遺族の心を慮って提案すると・・・。
①可能ならば同じ山にツアー登山で登ってみる。
②なぜこんな最果ての山に登りたがったのか故人を理解してあげる。
③同行者と友達になって登山者の心理を理解する。

 旅行会社を叩いても癒されるだろうか。
 本来は、旅行会社、リーダーは利用した登山者から感謝されていいはずだ。こんなところへ連れて来てもらってありがとう、というべきだった。事故になると一転して、豹変する。山に登るには普段と違う服装や持ち物を持つことになる。そのへんから理解していって欲しいと思う。バスツアーのツアーとは違うのだ。

 登山界では百名山を求めてツアー登山する登山者は批判の的になっている。いささか古いが、朝日新聞記者だった本多勝一氏、医師で登山家の原真氏(故人)らは自著で百名山登山を批判している。今はこんな筋金入りの批評家は居なくなったように思う。
 元々『日本百名山』は登ってください、という意味で書かれたわけではない。山の雑誌が特集したり、NHKがTVで放映し、ビデオも販売して一般登山者にも広まっていった。映像を見れば「わっ登りたい」といつしか、それがブームになって、自分の力量もわきまえずに、ツアー登山に参加して行く人が激増していった。そうした背景での事故発生である。

 今も、私の会の人らが北海道の斜里岳などに遠征している。昨年、斜里岳の登山口まで行って泊まったが、雨で決行を断念したからだ。私も判断を求められて困った。午前3時、昨夜は海辺の灯りが見えたが、今は見えないので、中止、と宣言した。
 昨年は雨でも観光バスをチャーターしたツアー登山客がずぶ濡れで下山してきた。雨だからといって中止をするとクレームになるそうだ。雨で地盤が緩むと動かない岩も動くし、崩落もある。山では何が起きても不思議ではないと心得たものが参加するべきだろう。
 今後、大きな遭難事故が起きないことを祈るばかりである。

このごろの家電店は?2012年07月19日

 梅雨が開けていざスイッチオンしたら室内のエアコンが作動しない。エアコンのリモコンが壊れてしまったようだ。手動で作動できないものか。こんなとき便利なものは不便だ。HPであれこれ機能回復を試みる。すべて頓挫したので問合せした。今朝、回答が携帯にあった。正規品はないので代替品ならあるというのでK電器店へ注文した。
 昨日はケータイの電池の消耗が早くなったので、ドコモに飛び込んだが6年経過して、在庫はないとのこと。ついでに新品を選んだがスマホ全盛で携帯は主力の座から落ちているようだ。有っても中々に割高感がある。かつてはタダだったからだ。
 係員からいろいろ提案されたが一考をようすることばかりで気楽には買えない。この暑いさなかに細かい思考はしんどいがそうも言っておれない。ドコモなど他社からAUに乗り換えると携帯がタダになり、3万円の商品もタダ、月々の額も減らせる。
 この話うますぎるが・・・?たとえば、30000円の液晶TVがタダでもらえるのだが・・・。乗るか反るか。後になって後悔するような隠れ負担はないだろうか。疑心暗鬼になる私である。