③石岡繁雄「遭難を防止するために」を読む2012年03月09日

 遭難防止のためには昔からいろいろ工夫されてきている。たとえば入門時代に読んだ本には雪崩に埋まった登山者を救出するために「なだれひも」の使用が提案されていた。それは今はビーコン、ゾンデ棒に取って代わられた。
 その前には雪崩の危険の恐れがある場合たとえば
1、斜面を横切らない
2、沢筋に入らない
3、降雪中は山に向かわない
を遵守することで回避する心構えが説かれていた。
 友人知人の例でいうと
 年末に北岳に登った。登るときには尾根を辿ったが下山時は山腹を巻こうとして雪崩にあって死亡した。南岸低気圧の通過で危険は分かっていたはずである。しかし、元旦は家族揃って迎えたい一心でトラバースによる下山を強行した。理性が感情に引き寄せられる形で遭難した。
 危険な海外遠征登山が終わったら夫婦で日本の山を巡ろうとしていた登山好きの夫婦の場合。国内の山で雨が降って重たくなった残雪の沢筋を登って行くうちに雪崩にあって死亡した。妻と水入らずの登山を楽しんでいての事故だった。長期に留守を預ける妻に迷惑をかけてるという負い目が冷静な判断を欠いた例といえる。山はいつでも危険だからそれを回避するのは理性的な判断しかない。
 理性がいかに大切か、それも氷のような理性が。他者のみならず自分を含めての容赦ない判断力はげに理性の働きである、と知る。
以上筆者。
(ハ)遭難防止のための一つの対策
 遭難防止のためには登山者自身の最善の注意が必要であるが、それはすでに述べたように、まず第一に、登山界がその時点において示しうる最善の注意を、一般登山者にして十分な形で、つまり誤解のないようしかも要点を簡略に示すこと、さらに、最善の注意の内容をより高度にするためにつねに研究し努力することが必要である。(従来これらのことは、熟練者もしくは熟練者の集まりによって執筆される記事の形で示されているが、それらのものの間には統一がなく、お互いに矛盾する部分もあったりして、必ずしも充実したものとはなっていない。)
 第二には登山者自身が登山界の指示を忠実に守ることが必要である。遭難防止を高い状態で保つためには、この二点が同時に必要となる。以下述べることは、登山界が一般登山者に対してなすべきこと、つまり最善の注意は現状としてはかくかくのものがあるという点と(登山界の統一見解でなくてはいけないが)、最善の注意の内容をより高度にするために、かくかくのものを追加するのはどうであろうかという点に関するものである。なお以下の記載では区別して記すべきであるが、従来ともはっきりしていないようであるのでとくに区別しないことにした。
①登山界が「最善の注意」を登山者に示す場合の説明の形式
本論に入る前に、登山界が一般登山者に示すべき最善の注意は、どのような形式で説明されることが望ましいであろうかという点を考えたい。形式などはどうでも良いという意見もあるかもしれないが、私は、この形式というものが重要な意味をもつことを知った。
 従来、登山者は、最善の注意を払うに当たって、注意すべき点を項目順に反芻するというのではなくて、いわば総括的な勘でもっておこなってきた。しかし、こういう勘によるという方法は、熟練者の場合でも致命的な盲点を残す場合があることを、多くの遭難事件によって痛感したのである。
 具体的な点については後述することとし次には、これらの教訓の結果として最善の注意の説明は、かくかくの点に留意されてつくられることが望ましいというその項目を記すことにする。
(a)登山計画を立てるとき、登攀に直面したときなど、内容を容易に反芻できるような形とする。大項目から小項目へ。原則的なものから具体的なものへ次第に細分してゆく。また系統図などで個々の関係を明らかにする。
(b)主文は簡略にし、かつ文章は義務感を与えるような形態とする。(たとえば六法全書の文章のごとく)
(c)主文のうちの誤解を受けやすい点の説明、重要な事例などは、注として末尾に一括する(別冊としてもよい)
(d)出来るだけ使用例をつける。たとえば、冬期前穂高岳を登るための注意、残雪期に鹿島北壁を登るための注意、等。
 大体以上のようなものであるがこれらのものは単に私の思いつきの域を出ず、すべては今後の検討を待たなくてはならない。要するに、登山界全体の努力によって完全なものに育ててゆかなくてはならない。遭難防止という大切な点が現状のようにあいまいなことでは、登山者の努力は万全の注意からぐっと離れたものとなってしまう。「現在のようにはっきり定まっていないほうが面白い」という意見もあるかも知れないが、生命に直結する問題である以上、そのようなことは言っておれない。遭難が続出すようでは登山制限を食いかねないのである。
 しかしながらこの仕事は、岩場での確保の技術、なだれの予見など、現在判明している膨大な知識の中から、登山者の危険防止に直接役立つ部分のみを簡潔に抜き取るという点だけを、考えても決して容易ではない。もし仮にこの仕事が、まことに膨大となって容易には完成しないという場合には、山別、季節別でも良いから、出来たものからまとめてゆくことが必要と思う。
 さて、上に述べた最善の注意に関する説明を以下「登山に際しての配慮基準」もしくは単に「基準」と呼ぶ。なおこうした努力が必要であるということは、昭和34年秋に発生した東大の滝谷における遭難報告書の中でも強調されている。
②登山者の心構え
 基準の中に登山者の心構えという項目を折れることは必要と思う。しかしその記事は要点のみでよいであろう。以下述べることは冗長であるが誤解のないように考えてそのようにした。もちろん内容については十分検討されなくてはならない。
 さて登山者の中には「自分はスリルが好きだから山へ登る」だとか「山で死ぬのは本望だから好きなようにする」といった最近流行のビート族的な考え方の者がいるが、こういう考えを前面に押し出すようでは最善の注意は期待できない。たとえば未知の山へ登るのに磁石を持たない方がスリルはあるが、そういうことでは万一遭難した場合、本人はそれでよくても軽率な遭難という非難はまぬがれないことになる。登山者に必要な心構えは、登山の目的、動機が何であろうとも、登山の行動そのものは「山が持っている性質と自分の能力とを科学的に判断して決して無理をしないという決意を持つことである。
 つまりスリルを求めて山に行くのは良いとしても危険防止のための最善の注意を守ろうという理性がそのスリルに引きずられて少しでもおろそかになってはいけないということである。科学的な評価をあいまいにするような考え方は、登山という行為に際して、頑として排斥する気持ちが確立していなくてはならない。
 たとえば、スリルを求めるとか、スポーツ登山とか、マンメリズムといったものは、個々の行動に際して、科学的な判断をあいまいにする性格をもっている。そういうものに漫然と引きずられるようなことがあってはいけない。理性が感情にひきよせられたとき軽率な遭難という魔の口が開くことになる。また精神的なもの(根性など)が必要なであることは当然であるがそういうものは要するに人間の能力の一つの要素に過ぎないので、過大評価してはいけない精神的なものが、自らの能力を百パーセントにするための原因となることはよいが、最善の注意を守ろうという理性を麻痺させる原因となってはならない。
 登山は角力とか野球のようなスポーツと異なり、失敗は死につながるからである。
 なお、この点に関しさらに大切なことは、既に述べたように、危険が大きい登山を試みる者は、かりに最善の注意を払ったからといって、それは万全の注意ではないということである。登山の方法によっては、その巾は相当に広い場合がある。そういう登山をする者の危険率は平地の危険率よりかなり高い場合がある。
 それだけに登山者は自分の判断力、行動力を謙虚に計算し、かつ万一の場合の配慮を予めしておかなくてはならないのである。また、最近の登山者の中には「遭難は交通事故と同じで、いわば運のようなものだから目に角を立てて危険防止を強調しなくてもよいではないか」という者がいる。
 しかし、危険防止のために最善の努力をすることは、いわば人間としての義務(道義)である。遭難という結果は同じでも、その義務を遂行したかどうかということで重大な差がある。生命を守るための最善の努力は、人類の進歩を約束し、それを怠るときには進歩はない。医師が最善の努力を下にも関わらず、患者が死亡したという場合と、そうでない場合とは、結果は同じでも重大な差があるのと同じことである。危険が大きい登山を試みようとする者は、この心構えに徹しなくてはならないと思う。

訃報2012年03月09日

 山仲間のH.Hさんが亡くなられた、と今朝のメールで連絡があった。昨年11月の50周年記念では青いかおだったから体調を尋ねたら「あんまりよくないんだ」とのことで早々に帰られた。あれが最後だった。逝くのはちょっと早いんじゃないの、と言ってやりたい。
 『分県登山ガイド 愛知県の山』の執筆協力者だった。改訂版の話があるといつも積極的に歩かれていた。自分の責任範囲の山は何度も歩かれた。新規の山の掘り出しにも熱意を出された。そんな熱意が読者にも伝わって、お陰で3版を数えた。愛知県のようなマイナーな地域でも16000部の売れ行きを示した。中部電力にお勤めだったせいか、鉄塔巡視路の情報に詳しく、技術者として愛着もあったようだ。
もう一つあった。2005年のJAC100周年で日本中央分水嶺をやったときだ。東海支部の割り当ては野麦峠から塩尻峠付近だったかな?彼は委員長になり、これも積極的に踏破された。手強いヤブのところのみ我々が積雪期に踏破した。その記録もうまくまとめ、CDに落とされた。事務能力も優れた人だったと改めて思いだす。
 ご冥福をお祈りします。