続続・Nさんは御池岳~藤原岳の何処に?2012年03月04日

 御池岳(藤原岳)遭難の捜索活動も2/12以来、20日を経過した。これまでのいなべ署、三重県防災ヘリ、東近江市のヘリ、三重岳連を中心にした協力者の地べたを這うような捜索活動も実らないまま3月を迎えた。いなべ署の捜索は先月19日で終結した。今後は純粋に三重岳連と傘下の山岳会、ボランティアのみになる。
 3/3(土)、未明コトッと言う音、ノックされたような物音に目が覚める。時計はまだ3時半くらい。出発予定は5時半だからまだ眠れるが二度寝は危ない。しばらくうつらうつらしてトイレに立つと玄関ドアに新聞があった。さっきの物音はこれだったか。朝日新聞だが本当は東雲新聞すれば・・・。寝ながら読むが頭に入らないので起きて朝食だ。
 6時過ぎ、今度は高針ICから入った。直感的には伊勢湾岸道が早そうだが、HPでチエックすると高針IC起点桑名ICで行くと約35Km、33分、990円(ETC)に対し、植田ICでは45Km,33分、1050円(ETC)だった。名古屋高速経由は割高と敬遠していたが伊勢湾岸の方が割高なのだ。
 7時前に大貝戸へ到着。疎らに車があった。早速、愛知岳連のSさんが親しく声を掛けてきた。中へ入るとまだ少ない。Yさんも来ている。JACのMさんが来られた。三重岳連の幹部が揃って、打ち合わせに入る。これまでの捜索地点の盲点を探すのが狙い。終わるとNさんの奥さんからあいさつ。「Nを連れて帰りたい」とすでに腹を括られたのだろう。今ならきれいな遺体と思うが野ざらしが長引けば無残なことになろう。
 雪山の捜索は一般の地元民にはできない。道具、防寒着、登山技術がいる。山中での機動的な無線連絡も重要だ。これは登山者にしかできない。岩登りはクライマーに、沢登りも、山スキーも同じジャンルの人が救助に出る。捜索、救助もまた独特の道具と技術があるので訓練が必要である。家族の捜索協力への期待もむべなるかなである。
 ご家族の期待に応えるべく、それぞれの持ち場に散る。我々は計6人でコグルミ谷から入り、奥ノ平に出て、真の谷へ下ってみることにした。捜索済みの地図の空白部分である。もっとも可能性がなかったから今まで目が届かなかったわけだ。
 Iリーダーの車についてR306のゲートまで走る。2/28に来た時より、路上の雪はない。コグルミ谷登山口以遠でも若干はあったがきれいに解けて乾燥路面になっている。
 登山口から出発すると左岸の土の急斜面を這うように登っていくパーティが見えた。捜索だろうが、うーむ!凄い人らがいるもんだ。
 谷の中の雪も若干は減っている。2/18の時よりも、足跡が明瞭になって歩き易い。雪も腐っていてRFに苦労することもないからややピッチが早めでついていくのが大変だ。
 タテ谷分岐からは雪が多めになる。登山道でもしも見つかるとしたら一番濃厚なルートだろう。谷底もまだ残雪に覆われている。コグルミ谷道はR306への最短ルートだが峠からタテ谷分岐の間が特に急俊である。体重90Kg,ザックがおよそ20Kgとすると優に110Kgの重さだ。アイゼン歩行に慣れないとつま先の爪にバランスを崩し易い。初心者のNさんがどの程度トレーニングされたのか。冬の西穂に登った経験があるとはいえ、コグルミ谷ほどの急な箇所は無かったと思う。
 水場からはトレースのない右又へそれて登ってみた。登りきってから名古屋から来た若いメンバーがここから奥ノ平へは経験のある私が案内するというのでお願いした。日が昇って南斜面の雪が緩みだしている。ずぼずぼとよく潜るのでワカンが有効だが私一人持参しなかった。
 樹氷林はオオイタヤメイゲツであろうか。希少性の高い群落である。積雪期はこうして自在に歩けるが無雪期はヤブに覆われるだろう。気温が上がって、シャリシャリという音を立てて樹氷が落ちている。
 トップはもう見えないから山頂へ行っているだろう。足跡を追いながらやっとの思いで奥ノ平に着いた。そこだけは雪が解けて地面が出ていた。眼下には雪原が広がる。縦横に捜索の人らが歩いているのが見える。この時期にこれだけ登山者が登ることもないだろう。
 周囲の眺めもにいい。今まで無雪期しか知らないから新鮮である。冷川岳はコブでしかない。藤原岳への稜線、御在所方面も見える。伊吹山、霊仙山も見えるがその奥は霞んでいる。遊びで来たなら楽しい気分に浸れるが今日は大切な捜索だ。
 12時40分、地形図を出して役割を細分化して出発。四日市市在住という単独の人が加わった。若干下って1194mに近づいた辺りで二班に別れた。あちらは3人とこちらも4人がバラバラに散って下った。膝くらいまで潜って難儀したが約30分ほどで真の谷に着いた。ここはホントに安らかな谷である。親の谷の間違いではないか、と思うほどだ。
 真の谷の流れが多くなった。雪代という。雪解け水のことだ。山が活き活きし出す感じだ。雪は天然のダムという。下流の永源寺ダムは今頃から満水になっていくだろう。
 先行グループはもう登っていると思ったが少し先で下ってきて合流した。山頂へ忘れ物をして又取りに戻って遅くなったという。風もない麗かな春の山にくつろぎ過ぎた?らしい。みなで笑った。後は右岸左岸を渡渉しながら峠に戻る。コグルミ谷の手前で右岸尾根を下るというのでまた別れた。我々は峠からコグルミ谷を忠実に下る。やっぱり急だ。
 外国の山から帰ってきたばかりのMさんは一つ上だがびっくりするほど早いピッチで下っていく。標高の高いところの高所順応が今も有効なんでしょうか。それに適度の痩せ気味の体格が登山者に適している。私はといえばもうメダボ体質そのものでひーひーいいながらついていくことになる。
 無事、R306に着いた。右岸尾根組はまだだ。車に戻って帰り支度する。「おーい」と叫んでみたが反応なし。下って来そうな場所を探しながら走ってみた。犬返し橋を往復すると意外な場所を下ってきた。メンバーの若い女性が長い梯子階段を下っている。やれやれと無事を確認し、無線で連絡をしてもらった。
 大貝戸の本部に戻った。マイクロバスとすれ違った。団体登山客と思ったがJAC東海支部のボランティア委員会のメンバーと後で知った。I委員長の報告で分かった。
 小屋内ではご家族から熱いお茶をいただいたり、善哉で体を温めた。落ち着いた後、また集まって報告会になるが今日も空振りに終わった。後、Nさんの父親が紹介されて、捜索へのねぎらいと今後の要望の言葉が寄せられた。44歳の子の父親ならば75歳前後であろうか。人生の後半にきて息子に先立たれる?なんてショックだっただろう。
 それにしても今回の捜索活動は異例中の異例と思う。私自身、山岳遭難の捜索に関わったのは初体験である。大抵は行く人が行けば、或いはヘリが探せば見つかっていた。もちろん捜索しても見つからずに終わったケースもあった。
 知多半島の30歳の医師が鈴鹿南部の山で行方不明になった。やたらに多い赤ペンキの標に振り回されたらしい。何ヵ月後かに下流で遺体となって見つかっている。小岐須溪谷に遭難碑がある。名古屋市の60歳の主婦が東海自然歩道で行方不明になった。息子さんは地元消防団の協力で捜索したが1ヶ月で止めた。1年後の同時期に遺体で見つかっている。いずれも大水で流されてきたのだろう。いずれも単独行である。
 今回は山岳遭難の捜索のプロによらず、多くが鈴鹿通のボランティア?の参加らしい。原因として考えられるのは地元関係者だけでことが進められる過去のケースと違い、インターネットで情報が伝わりやすいことがある。ネットでも鈴鹿の愛好家らの参加が顕著に認められる。(かといって、ネット情報を信じて、登山するのもリスクが高い。投稿者の本当のバックも知らずに簡単に理解すると大変だ。)
 それに3.11で自分本位の生き方の反省から絆が見直された。困ったときはお互い様の精神が確認されたばかりなのだ。私も三重岳連から要請で承諾し、2/16に参加、2/18は生存の可能性もあって自発的に参加した。その後も乗りかかった船と思い、2/28、3/3と捜索に加わった。
 今回の活動で再発見したことは人は自分のためにだけ生きているのではない、ということだ。他者から求められればやれるだけのことはやってあげたい。情けは人の為ならず、ということだった。 
 捜索は新緑期までに発見できなければ長期戦になろうか。早期に発見されることを願う。山仲間にはなるだけ御池岳、藤原岳に登ってもらうように勧めるのも手だ。
追記
「ヤブコギネット」をみていたら↓のHPが作成され、貼られていましたので当ブログにも転載させていただきます。今回の捜索に関するブログなどの情報の集約です。捜索協力される人の参考になると思います。
http://www50.atwiki.jp/hnagashi/pages/13.html
読みますと非常に多くの人が協力されているのが分かります。
未確認ですが
・鈴ヶ岳方面に放置ザックがあった?
・出ていないとされていた登山届けが実は出ていた、など