藤原岳行方不明者の捜索2012年02月16日

 午前4時半起き、テルモスに熱湯を詰めて出発。6時45分前に大貝戸登山口に結集。これまでの捜索では不明のままで、いなべ署のリーダーから今日の行動の説明を聴く。我々、日本山岳会東海支部5名は冷川谷道を溯ってみることにした。
 林道の奥深く入山してから廃道化した山道を拾う。所々道形が現れるが不明瞭だ。大きな滝を高巻く。Wリーダーは滝つぼもチエックしに行く。地形図とにらめっこしながらルート判断に神経を使う。391m付近の地形図で表現された平からは雪を踏みしめながら溯る。上流に行くに従い、谷が立って来る。大小の滝が連続するが雪で埋まっているので簡単に攀じ登れる。もしも下りにとると厄介な谷である。
 右か左か選択しながら、不明者のオレンジ色のテント、グリーンのヤッケなどをきょろきょろしつつ登って、白船峠に着いた。峠からは冷川岳まで雪庇の三重県側をチエックしてみた。ビーコンの反応もない。峠に戻る。こんな捜索でなければ絶好の春山日和であり、遠くには能郷白山、伊吹山が輝く。
 行方不明の登山者は午前6時半に御池岳を下山すると奥さん宛にメールを送信していた。
 大貝戸から藤原に登り、峠を経て真の谷でテント泊したであろう。空身で御池を往復して、テントも撤収した。その時にメールを打ったはずだ。真の谷から峠を経て山口へ下山するのが想定されるルートである。それは見つからなかった。 
 テント泊だから時間はたっぷりある。であれば鈴北岳経由で鞍掛峠に下ることも想定できる。しかし、それはガスの中では困難なルートであろう。池が点在する頂上はリングワンダリングの危険がある。かつてこの池の畔に古い遭難碑があった。碑文には4月29日の日付、ツエルトの中で凍死していたという。縦走の場合は赤い旗や布を残すことはしない。
 私自身が鈴北岳から鞍掛峠への県境尾根の下山を試みて失敗したことがあった。あの時は滋賀県側の道のない谷へ下っていた。おかしいと、何度も引き返したが・・・。幸いチエンソーの音に引かれて山林伐採中の業者に峠まで乗せてもらったのだった。
 御池のような平頂峰は断崖が発達していることが多い。下るときも大変急だった。ガスの中、しかも厳冬期のこの谷に迷い込むと厄介なことになる。ザイルがあれば懸垂も可能であるが経験3年という。
 鈴北を中心に県境尾根、鈴ヶ岳に囲まれた谷はまだ捜索が行われていない。峠から高圧電線の保守路の道にトラバースし、高圧鉄塔の下でヘリコプターがビーコンで探査するまで待った。何も反応はなかったようだ。明日以降に継続する。
 過去には1月の伯耆大山で遭難したTさんは4日後に雪解けの川を下って、自力下山している例がある。後は精神力だろう。テントがある、食糧もある、火器もある、寝袋も有るじゃないか。同僚らしい同行者がいうには身長180センチの体格があるとか。妻子が待っている。自力下山を祈る。
 いなべ署の救助隊員は連日の捜索活動で疲労気味だ。あの3連休も毎日捜索依頼があったという。みな名古屋の登山者らしい。20年のベテラン登山者だってだめ、とはき棄てるように言われた。登山届けを出して欲しいのだ。基本のキが守られてない。