宮原巍『還暦のエベレスト』(中公文庫)を読む2011年09月29日

 著者は1934年生まれで77歳になる。長野県小県郡青木村出身。日本山岳会会員で5000番台だから若い頃に入会されたのだろう。根っからの「山や」さんである。
 この夏に著者のふるさとの青木村の里山に行ったばかりであるが周囲に高い山はない。それなのに名前の巍はたかしと読み、高く大きいさま、厳かで威厳のあるさまの意味がある。ヒマラヤの山岳景観そのものではないか。
 エベレストへの憧憬から改名されたのだろうか?
 日大を卒業後、日本企業2社を経て、ネパールに在住し、国家公務員になった。ネパールはヒマラヤ観光との思いを仕事にした。エベレストの見えるホテルを建設されたことでよく知られる。そしてヒマラヤトレッキングを紹介。ヒマラヤ山麓を動き回ることからか、ヒマラヤのジャッカルとも呼ばれたらしい。ジャッカルとは狼のこと。
 60歳になる前にそこからエベレストを眺めるうちに登山を思い立った。丁度60歳の1994年に登山許可が下りて日本の山からトレーニングを開始した。第三章からが本書の核心部になる。いわゆる高齢者登山の先駆けになった人。慌しくネパールの山野を駆け抜けた登山家のドキュメントと違って、ネパールの山と人との交流もある。
 登頂はあと少しのところで適わなかったがそのために忸怩たる思いが伝わる文章になっている。撤退ではなく敗退だと。
 高度も年齢的にもまた来ればいい、という山ではない。二度はないのだった。ゆえに命を懸ける純粋な登山家魂をぶつけるには相応しい山である。