信州・ふるさとの富士紀行①高井富士1351m2011年08月13日

 志賀高原や野沢温泉にスキーに行くとき前方によく目立つ山が見える。それを高社山と知った。後年、『わが遍歴の信州百名山』で高井富士ということも知った。それならと周囲に3ヶ所あるスキー場からリフトを利用して手軽なスキー登山の対象にしてもう長くなった。ところが山岳会の50周年記念でふるさと富士を50座登るというのでこの山を提案して真夏に登ることになった。
 高井富士とは高社山の別称である。
 高社山は長野盆地と飯山盆地を隔てる重要な山でもあった。志賀高原から西に突き出して信濃川に迫る地形はどちらからもよく目立つから古来からの名山となったのだろう。まして富士山に似た山容であればな尚更である。地形図でも本来の山名に加えて高井富士が括弧書きされている。よほど自慢したい心が表れているではないか。
 他の例を調べてみた。美瑛富士、阿寒富士、榛名富士のように最初から山名になっている山は除く。
 括弧書きされている例は思いつくままに調べると利尻山=利尻富士、戸倉山=伊那富士、羊蹄山=蝦夷富士、えっ、これだけか。
 岩木山(津軽富士)、鳥海山(出羽富士)、岩手山(南部富士)、開門岳(薩摩富士)、有明山(信濃富士)、蓼科山(諏訪富士)、妙高山(越後富士)、黒姫山(信濃富士)、荒島岳(大野富士)、継子岳(日和田富士)、青葉山(若狭富士)、大山(伯耆富士)などは括弧書きされていても良さそうだがそのままだった。
 全国に350座以上あるというふるさと富士、郷土富士、おらが富士の類い。その中で堂々となんとか富士と名乗らずとも括弧書きして知名度を上げたいふるさとの人々の心が手に取るように分かる。
 8/12の深夜、2名の同行者が集まる。東名から中央道に入るが通行量がとても多い。深夜ならばみな寝る時間帯を嫌がって激減するだろうと思っていたが計算違いだった。
 恵那SA,駒ケ岳SA、梓川SA、その他のPAも満杯でPをはみ出した車が道路脇に止めているのでパスし、午前3時、筑北村の筑北PAでようやく休憩できた。ここはトイレ以外には何もない。こんな時には何もないことがありがたい。ここで車中で仮眠する。
 8/13、午前5時出発。長野盆地を視野にしてようやく北信濃に入る感が強まる。信州中野ICで降りてR403に入る。途中、ローソンに寄って朝食など買う。よませスキー場の案内に従ってスキー場に着いたのは6時半ごろ。
 7時5分前に出発、ゲレンデの左端を登る。草の上の踏み跡を歩くとコオニユリ、ユウスゲなどの花が見える。高い背のススキの群落を分けて行くと林道が横切っているので左折する。ここまで登っただけでもかなり高度感がある。新しい登山靴を履いてならしている最中だがかかとが靴擦れを起しているので後は林道になるだけ忠実に登る。
 この林道はゲレンデ整備用でもあり、初心者の滑走用でもある。斜度は中級か上級であろう。リフト終点に着いた。マツムシソウの花が揺れている。ここからはいよいよ山道になる。
 逆くの字形に南から上がってくる痩せ尾根である。刈分けられて歩き易い。植生は低潅木で冬の季節風をまともに受ける稜線である。傾斜もかなりのものでスキーが使えるかどうか、といったところ。鳥居を潜る。岩場を通過するとしばらくで山頂だった。約1時間30分を若干オーバー。
 山頂には三角点以外に、記念の石碑、信仰の石社が置かれている。正に高い所に社がある山である。朽ちかけている展望櫓にも登ってみた。眺めはいいはずがこの季節はもうガスがかかっている時間帯である好展望は望めない。
 それどころか天気は上々なので日照が強い。櫓の片影でそれを避けるように休んだ。西の峰から高齢のハイカーが単独で登ってきた。今日会った登山者はたった一人であった。彼に別れを告げて下山した。
 汗だくになったシャツを着替えて次の山に向かった。

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