「棟方志功 祈りと旅」回顧展 鑑賞2011年08月11日

 朝日新聞朝刊で棟方志功の版画の展覧会開催中の情報を得て行って見た。いずれは昭和57年(1982)に開館した富山県福光町に棟方志功記念館愛染苑にも訪ねたい意向であった。
 ここのHPにアクセスしてみると行ったことはないのに懐かしい気分が漂う。今回のテーマの祈りもこのHPで分かった。棟方の娘さんをもらった朝日新聞の記者・宇賀田達雄が大著「祈りの人 棟方志功」を著している。旅は分かるとしても祈りとはそこから採られたものか。富山で疎開中に浄土真宗を知ったとも、大和にちなむ版画からか。
 実は毎月富山市から送られてくる俳句雑誌「辛夷」の表紙絵は何と棟方作品なのである。主宰だった俳人前田普羅と棟方は福光町の疎開先で交友関係を結んだ。その縁で昭和25年(1950 47歳)に普羅の俳句を散りばめた版画句集「栖霞品」を制作した。”乗鞍のかなた春星かぎりなし”など20句。その縁は表紙に利用する権利を許されて今日まで続いている。だから馴染んでいると思ったのだが・・・。
 見学の目的にはその作品を見たい気持ちもあった。係員の一人に富山県で疎開中の作品は?と聞いたが研究員ではなかったから知らない。もとより鑑賞力など持ち得ないので世評高い他の大作も素通りするだけである。前衛的なイメージがあって私の好みに合わない面もある。但し、壁画のような大作には度肝を抜かれた。
 誰か通人が居て解説して貰いながら鑑賞するなら面白いし、理解が深まるだろう。朝刊にも作家の長谷部日出雄氏が特徴を縄文美学に例えている。私は弥生美学に馴染んでいるのだろう。岡本太郎の「太陽の塔」を見たときも違和感があった。しかし、世界は広い。美学に国境はない。国際的な評価が高まれば弥生美学の伝統もかなわない。
 前田普羅が71歳で亡くなったのは昭和29年8月8日の立秋のことだった。普羅の畏友、社賓同人だった棟方は2年後の昭和31年、ヴェネツィア・ビエンナーレ展で国際版画大賞を受賞し、「世界のムナカタ」の地位を確立したという。53歳だった。その朗報を知ることも無く死んでいった普羅の不遇の生涯を思う。
   震災も戦災も経し普羅の忌に
 ちなみに「辛夷」の今月の表紙は魚の絵だ。右から縦書きで越中鰤メデタイナ、とある。昨年は一般にもよく知られる福福しい女性像だった。
   白い街残る暑さの凄まじき