阿久悠著『生きっぱなしの記』を読む2011年07月26日

『生きっぱなしの記』私の履歴書 日経ビジネス文庫 2007.12.1
 日経新聞には著名人の「私の履歴書」という連載記事があって興味を引く。この本は2001年9月に終わった連載を2004年に単行本化されて更に文庫に入った。
著者の半生記であるが連載後数年で亡くなっているから最盛期のことはカバーされている。もっとも功なり名を遂げた大物ゆえに執筆依頼があるのだから著者の生涯は知ることができる。
 大学はでたけれど・・・の時代から戦後の成長期になり、作れば売れた時代から企業は営業に力を入れるようになる。広告は重要なツールとなった。多くの求人を見て新時代の臭いを感じた阿久青年はこれからはこれだと入社する。
 時代と歯車がかみ合って広告会社の社員時代の下積みから売れっ子になっていく様がよく描かれている。無名時代にいかにアイデアを蓄積するかがポイントであろう。企画力は勤務先よりも他社のアルバイトで培われていた。
 そして作詞家に導かれるようになっていく。当時活躍していた先輩の作詞家の模倣を避けるためにいくつかの禁句を作り、持ち前の企画力が発揮されて斬新な歌詞が生まれてゆく。
 しかし、提供する歌手がみな当たったかといえばそうでもない。その時代を背景にして歌手、歌詞、曲の三位一体でヒット曲は生まれる。五木ひろしなどは当たらなかった部類だという。
 よくよく考えてみると大ヒットした歌手はみな人気が短命である。例外もあるが。むしろ中ヒットを重ねた歌手のほうが長持ちする。あの当時はTVの援護があった。今ユーチューブで若かりしころの映像を見られるのはその所産である。
 しかし、バブル崩壊後の歌手は不遇であろう。TVの歌番組といえばNHKかBSしかないそうだ。私はもう何十年もTVを見ないから昨年9月まで島津亜矢、藤あや子などは存在すら知らなかった。ということは20年くらいは見ていないことになる。坂本冬美が最後の記憶にある歌手だった。
 たまたまユーチューブで知った島津亜矢はBSの女王というらしいがBS時代の申し子なのである。BSは限定的な視聴者しかいない。ユーチューブの映像も片隅にBSとある。だからヒット曲が生まれにくい時代と思う。
 時代は目まぐるしく変わった。流行歌などは泡沫(うたかた)のように現れては消えてゆく運命である。阿久悠が大活躍した時代はもっともバブルな時代だった。
 バブルがはじけて平成の時代になると内省的、客観的、傍観者的になった。私も長く流行歌を楽しむことはなかった。北、酒、海、女、恋などどの歌も同じに聴こえた。時代とズレがあったからだろう。
 今改めて聴いている。アイポッドナノに「あの鐘を鳴らすのはあなた」「笑って許して」(和田アキ子) 「北の宿から」(都 はるみ) 、「 津軽海峡・冬景色」(石川さゆり) 、 「舟唄」(八代亜紀) 、 「ざんげの値打ちもない」(北原ミレイ) などのヒット曲とど演歌集他のCDをレンタルして転送して聴いている。
 ずいぶんいい仕事をしたじゃないかと思う。