飛騨・鎌ヶ峰の塩蔵谷を溯る2011年07月19日

 岐阜県山岳連盟が編纂した『ぎふ百山』の一つ。本書はかならずしも有名な山だけを網羅したわけではなく、無名の山も数多い。続編も刊行されて正編は復刻版も出版されている。若栃山に続く飛騨の沢シリーズ。 私は124座完登しているので二登目になる。
 7/17の夕方、W君宅に寄って飛騨清見から高山市へ。夜の市街地を抜けてR361を走る。高根町の道の駅ひだたかね工房で仮眠。ここは標高900mに近い高原の村。とはいっても最初は少しテント内は暑いので外で消夏。夜空を仰いでいるとまるで流れ星のようにふらふら飛んでいく。一匹の蛍が夏の風情を醸し出す。
 7/18、5時に出発。F君の待つところへ車を飛ばす。途中、日和田富士(継子岳の別名)が姿を見せる。
 F君と合流後、峠まで同行。初回は野麦峠から往復したが今回は飛騨側の野麦にある塩蔵谷から往復した。登頂後は稜線の「道」を当てにして野麦峠にもう1台デポした。
 取り付きは野麦集落のはずれにある道路標識で県道に野麦峠へ9kmとある4差路の車道で橋を渡ったすぐのところに路駐。塩蔵谷への林道に入る。地形図野麦では破線路で表現されているが今は整備された林道になり、奥まで続いている。
 7時出発。林道上には大きなホタルブクロが咲いている。林道の脇にはミヤマオダマキ、アザミが咲いている。途中、牛首沢への分岐をチエック。面白い地名である。概ね西日本は谷といい、東日本は沢と呼んでいる。中間地域の岐阜県は洞の地名も多い。岐阜県は混在していると思う。
 ネットの地形図で乗鞍岳から御岳の県境をはさんで地名を比較しても沢と谷の使い分けははっきりしている。稀に谷に混じって沢名も見る。それは人材の東西交流があったからだろう。
 山の命名にも偏在はある。包括的な山、特定的な岳、丸、嶺、森など。例外も多々あるが。ちなみに鎌ヶ峰は木曽側の命名かも知れない。辰ヶ峰、奥峰。
 林道は一旦沢から離れて左へ迂回して巻いて行く。再び沢と出会って並行してから入渓地を探る。枝沢へと迂回して塩蔵谷から離れる寸前がポイントになった。一旦枝沢に下って合流地点まで下る。
 本流の水温はとても冷たい。あとは栃やミズナラ、サワクルミの原生林のうっそうとした中を平凡な渓谷歩きを続けるのみである。滝場は全くない。深い淵も、ゴルジュもない。平凡そのもの。中にはヘルメットのゴミも落ちているし、錆びたワイヤーロープも見られたから一旦は部分的に伐採されたようだ。
 そう思っていると上流部に石垣が見え林道に出会った。日影沢から来ている長大な林道だ。鉄の大きなパイプが橋になっているのでそこを潜って溯った。地形図では左から出合う枝沢のみをチエックしておればよく、スムーズに源流部を詰めて笹に突入した。笹を漕いで県境の踏み跡に遭遇したとの一報を期待したが踏み跡はは無かった。わずかに白くなったテープが枝になびいている。ササヤブと格闘しながら30分もかかっただろうか。笹の中に埋もれた三角点があった。
 さて下山はどうする、と協議。一旦鞍部までくだってみて顕著な踏み跡がない場合は沢を下ることにした。鞍部はもちろん笹の海。わずかな笹の小ピーク2130mがとてつもなく困難な登りを示唆する。意見はすぐまとまり、来た沢を下ることになった。
 困難な場所がないだけに下るのも早い。滝を越える、深い淵を探る、ゴルジュを突破するという沢登りの醍醐味には欠けるものの登山道としての価値はある。
 車に戻って着替え。峠に走って車を取りに行く。F君とはここで別れた。途端に夕立に見舞われる。
 一旦、奈川へ出て境峠を越えて木曽に出た。R19を走って帰名する。