下伊那・万古渓谷(まんごけいこく)を溯る2011年06月13日

 信州というとどうしても日本アルプスや八ヶ岳周辺のイメージが強いけれど、ここも信州なんだな、と思う。
 登山の対象になる山を知らないだけである。まして沢登りなんてデータすら見た記憶がない。
 資料は地勢図:飯田、五万図:時又、2.5万図:上町
 後は泰阜村のHPの簡単な略図が参考になる。そのHPの見出しにはこう書いて紹介されている
 「万古渓谷(まんごけいこく)は、天竜川の支流で金森山を水源とする万古川上流の渓谷で、泰阜村二軒屋より飯田市唐沢の滝までの約7Km間をいいます。
 渓谷には瀑布、淵、奇影が続き、千古の密林のおおいかぶさる秘境であって、沢歩きの醍醐味を充分味あうことができます。」

 万古とは珍しい地名である。四日市には万古焼きがあるが「ばんこやき」と読む。万古不易に由来するという。こちらは「マンゴ」である。由来は不明。

 源流の金森山には登っている。小川路峠から道のない稜線の薮を漕いで往復した覚えがある。
 あらためて地形図を眺めてみる。金森山は赤石山脈と並行して走る伊那山脈の南端の山だった。その南には更にいくつかの山が続くが1700mの標高はここで終わる。以南はがくんと低くなる。最後には天竜川に落ちて山脈は終える。その東には南アルプスの前衛の御池山がある。要するに泰阜村は伊那山脈の山麓の村といえる。
 入渓地となるのは二軒屋という廃村だった。
 暗闇の中で日本鹿3頭の歓迎を受けながら長い林道を走った。11時ようやく着いた所は小さな電燈の点いたトイレがある駐車場だった。ここにテントを張ってささやかな宴会を催した。2人の新人さんとは初対面ということもあり、就寝は1時半。
 二軒屋という地名はどこかで聞いたことがある。福井県の広野ダムの奥にもかつて二ツ屋があった。そこから美濃俣丸の街道の尾の道に取り付いた。南アルプスにも二軒小屋があった。
 ここの二軒屋のかつては知らないが今も二軒のみ家がある。常住する住民は居まいが畑作にあるいは夏だけは来ているような雰囲気がある。廃村だが廃屋ではない。電線も引かれて文明圏にあるから別荘になる。
 さてPから身支度を整えて万古川にかかる赤い吊橋を渡る。歩道を進むと万古渓谷の石碑があり、天竜奥三河国定公園の一角と分かる。歩道はここまででいよいよ渓谷に入る。
 水位は高く、見た目に笹濁りであった。いきなり直登不可能な滝が現れて早速高巻きの手がかりを探す。すると左岸の壁に鎖、鉄製のスタンスまである。親切な配慮である。
 それからは一々書けないほどこの鎖と鉄の足場によって溯ることになる。魚止めの滝まではこの繰り返しであった。この滝の手前からは滝のしぶきが水煙となって流れてきた。滝水は落ちるというよりも沸騰したやかんのお湯を注ぐような滾る感じだ。滝つぼは煮えくり返る釜の如し、梅雨時の水量が多いと迫力がある。左岸の虎ロープ、鎖を頼って高まいた。
 その先も小さな滝、ゴルジュ、淵に遭遇するたびにこの鎖に頼った。落ちると逆巻く激流に飲まれてしまう。浮き上がることもないだろう。水死が脳裏を横切る。一箇所だけ遭難碑が岩に埋め込まれていた。だから腕力のない女性、体力のない人には無理な気がする。
 両岸は垂直に切り立った岩壁、急な雨で増水すると逃げ場がない。危険な渓谷である。沢登りをよく知ったリーダーが絶対に必要である。本谷ルートの半分の行程で七ツ釜で引き返すまでビバークしたくなるような沖積地も全くなかった。
 七ツ釜の手前の分岐で11時50分。6時50分の出発から4時間が経過していた。村のガイドマップでは2時間40分のコースタイムになっているから随分時間がかかった。原因は増水で渓谷を歩くよりも人工足場に苦労することが多かったためであろう。午後になって減水したため下山はかなり早かった。
 同行した新人2名も釣り経験者で魚心あれば水心あるのだろう。渓谷歩きに堪能し、充足したとの感想を聞いた。
 帰路はR151に抜けて「かじかの湯」で一風呂浴びてさっぱりした。天竜峡ICから山本JCTを経て名古屋までは断続的に渋滞した。来週で1000円の料金も終わる駆け込みドライブが多かったと見える。

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