静岡・竜爪山と丸子富士を歩く2010年12月19日

 12/18(土)午前6時集合直ちに出発。東名名古屋ICからしばらくは時雨模様の様子。東進すると明るくなり、富士山も真っ白に輝いて見える。今回の目的は1等三角点、山名が信仰に因む山、ふるさと富士をテーマに特にがちがちの計画でなく行き当たりばったりの山歩きにした。
 先ずは1等で信仰が狙える竜爪山(りゅうそうざん)を目指す。静岡ICを出て北上し、登山口の平山へ走る。羊腸の曲がりくねった車道を走ると穂積神社はあった。杉の大木が茂る荘厳な雰囲気の中に静かに鎮座している。
 東海自然歩道が山頂を通過するせいか、トイレがあり由来書きが設置されている。本来は山麓に近い社から登る人が多いせいで出合う人はみな下へ降りていく。逆に登ってくる人も居る。我々は随分楽してしまったのだ。
 神社の横をすり抜けて樹齢数百年はある杉の大木の中の登山道を歩くと突然急になる。鉄製の階段が設置されて息が上りそうなほどの急に喘がされる。ほどほどのところまで来ると白い富士山が美しく見える場所があって慰められる。
 やがて雑木の痩せ尾根になったかと思うと再び細い檜の木立になり薬師岳山頂に着いた。1051mと最高点にも関わらず展望はなく、三角点がないために閑散とした雰囲気である。すぐにパスして一旦は下る。急な道を登り返すと1等三角点のある文殊岳に着いた。
 すでに多くのハイカーが休んでいた。展望は南に良い。北は南アルプスが見えるはずだが木立に囲まれて見えない。一休みしてから山頂を辞した。
 下山すると今度は丸子富士に向かった。丸子はマルコではなくマリコと読む。資料は20万地勢図しかなくあたりをつけてR1の宇津の谷の道の駅から登れないかスタッフに聞いてみたが山名すら知らない。焼津の山だというので焼津に向かったが高草山と同一視されて外れた。一かパチかR150で再び安倍川まで戻り途中から坂下へ行く。ここでも聞くが山名は知らないというばかり。
 それでも直感で奥まで走るとハイキングなどのコース案内板があり確信した。行けるところまで行って満観峰470Mのコースに入る。急傾斜の棄てられた茶畑の道を喘ぐと小さな峠に道標があり、左が満観峰右丸子富士とある。右折。上り下りすると左へ登る道が丸子富士山頂だった。後で地形図で見ると450Mの三等三角点がある尖峰であった。展望はなく、日没を心配してすぐ下山した。

静岡県掛川市・高天神山を歩く2010年12月19日

 いつもはIさんという徹底的に調べてくれる強い参謀がいたが今回は体調思わしくなく私が代行した。しかし一旦楽を覚えるとダメで簡単な略図と20万の地勢図だけで攻めるという無謀なことになり、迷い迷って山頂に着くという珍ハイキングになってしまった。それでも1等三角点マニア垂涎の山に登れてよかった。同行のAさんにも50山ラリーに1座稼がせてあげた。昨夜友人の不幸を知ってせめてお通夜に、と帰りを急ぎながらの探索行となった。

 地形図の高天神山とは戦国時代の有名な城跡であった。菅原道真公を祀る。しかしここには1等三角点どころか他の三角点すらなかった。「三角点もあるよ、たしか210Mくらいだ」というから信じて行ったのに。後で調べると実際は132M。昨日も含めて「地元の人に山の事を聞くな」という掟は斯くの如し。
 山頂にあった名前は楞厳地山(りゅうごんじさん 220.5m)という。しかし1等三角点本点の点名は高天神山というからややこしい。地元の畑ヶ谷でおじさんに道を聞いても要領を得なかったのは山名の違いであった。登った後で再びあったおじさんに「なんだ楞厳地山ならあそこと言えたのに」と悔しがっても後の祭りだ。しかし両方登れて良かったじゃないか、と思いなおした。
 山頂には右書きの1等三角点標石、菱形天測点と方位標石が埋設されている。全国でも珍しい山である。天測点については以下に「NPO 静岡県自然史博物館ネットワーク」のサイトからコピーさせてもらおう。

 山頂の一等三角点標石の北2.4mのところに菱形基線測点(八角形のコンクリート製)が、また東1.8mのところに方位標の標石が埋設されている。
 菱形基線とは、菱形を形成する測点4点間(対角線を含めた6辺)を精密に測定して地表面の水平方向の変動(地震予知などに利用)を調べるためのものである。
 楞厳地山からの対角側線は西北西約18.4kmにある榛原町坂部の高根山一等三角点を結んだ線で、他は旧菊川町と相良町に側点がある。しかし、現在はGPSの利用などで菱形基線測点による測量は行われていない。
 方位標とは、ある地点Aにおける子午線方向を表示するために、Aから見通しのよい適当な距離の地点Bに設置した標識(AB方向を基準にして所定の角度の方向に子午線方向(真北)が存在する)である。
 以上

 ちなみに子午線をwikiでチエックすると

“子午線”という名称は子の方角(北)から午の方角(南)に伸びる線を意味する。これは中国から日本に伝わった方角を十二支に当てはめるやり方からきており、ちょうど子が北、午が南を指していたので「子午線」と言うようになった。本初子午線は、「一番初めの、もとになる線」という意味。

 南紀の「子ノ泊山」の子(ね)は北の方角を示す。熊野灘を航行する船が泊まり即ち港を目指す際の目安にした山と思われる。

 http://www.geocities.jp/superteizan/sankakumou.htmlには今回の山の三方原基線網の詳細が書かれている。残るは神ヶ谷37.2M、都田村85.9M、上野巳新田33.4M、坂部村(高根山)150.9Mの4座。

 山を楽しむには様々なテーマがあるが中でも1等三角点は一番だ。手軽にも楽しめるし、より深く、遠く、高く変幻自在なのがいい。