南紀の山旅2010年11月30日

 11/28、朝金山駅前に集合。全部で9名。2台に分乗して東別院ICから入る。今日のメンバーはUクラブでこれが最後の集会になろう。当主は昨年他界して奥さんを特別ゲストに迎えての慰安と追悼の旅行である。人のあまり行かない土地それが南紀の山だった。
 思えば1985年に当主の紹介でJACに入会、その3年くらい前からの交流であった。かれこれ30年近い付き合いになる。
 尾鷲市までは高速のおかげで早いものだ。最近できたらしい回転寿司で昼食にした。熊野市、御浜町と来て花の磐や神社に寄る。簡素だが曰くありげな神社である。白っぽい大きな磐が御神体という。海浜が近いから熊野灘を通過する船の灯台代わりになったのではないか。目立つ磐は昔から信仰の対象になった。石蕗(ツワ)の花が境内に咲く。
 R42から瀞流荘への看板を見て右折。昨年12月に登った妙見山の山麓を通過して丸山千枚田へ行く。ここで少し時間をかけて休んだ。投句箱があるので2句作って投函した。
   父祖の地の天につながる冬田かな   拙作
 今夜の宿は昨年と同じ瀞流荘。一休み後トロッコに乗って湯の口温泉に行く。かつては鉱石を積載したトロッコと鉱夫を乗せた小さな客車を牽引した電気機関車に引かれてガタゴト揺られて坑内に下りてゆく。台車に緩衝装置がないためにレールのゆがみをそのまま拾うから非常にうるさく話もできない。およそ2Kくらいだろうか。やっと鄙びた湯の口温泉に着く。ここは実はクルマでも来れるのだが。
 湯量の豊富な天然のかけ流しだ。ゆったり入湯した。再びトロッコに乗って宿に戻った。早速宴会である。まさに山海の珍味が出て人気のほどが分かる。日曜の夜なのに半分は埋まっている。明日は北海道から30名の団体が来るとか。あそこにもいい湯がたくさんあるのに。人はつくづくないものねだりをしたがる。
 11/29、午前6時過ぎ、起き抜けに宿の内湯に入湯した。たっぷりの量の朝食を摂る。クルマのところにいくとフロントガラスに霜が降りていた。放射冷却だろう。宿を出て再び丸山千枚田を所望する人が居たので周回した。違った角度から眺めたかったらしい。
 国道に戻って昨年も買った村里の露店でみかんを探したが1ヶ月早いせいか品物薄だった。それでも一袋100円で買えた。今日の山は長尾山にした。地形図とガイドブック『三重の百山』を参考にしながら道を探しながら行く。
 山麓の少年自然の家を通る。後は一車線分の狭い道だ。札立峠に行く道が分からない。ガイドでは札立トンネルの手前を右折、となっているが道は廃道だった。地形図にも確かに車道があることになっている。そんなところへハンターが現れて事情を聞くとトンネルの向こうに出て右折するようだ。
 何のことはない。ここに来て道標まであるじゃないか。簡易舗装の狭い道だが落石はない。旧札立峠に着くと向こう側はススキの生い茂る廃道だった。それでスイッチバックで方向転換していくと山頂直下まで来てしまった。こんな道があるのは数多建つTV電波の中継アンテナの管理用であった。
 登り1分で2等三角点の長尾山である。山頂は芝に覆われて開放的な雰囲気だ。眼下には美浜七里が見える。太平洋に浮かぶ鯨のホエールウォッチングができそうな気がした。ここでしばらくは歓談した。近くには熊野灘の彼方に富士山が見える旨の立て札があった。そんな記事を新聞で読んだ記憶もある。車で登っても一座は一座である。
 高齢者には優しい山歩きだった。帰路は少年自然の家に寄る。ここは大人でも宿泊可能らしい。眺めもいい。御浜町の道の駅で昼食。あとはR42をひた走る。高速ではトンネル事故で火災が発生し全面通行止めになっていた。しかし大した渋滞もなく帰れて良かった。