遭難を考える2010年11月26日

 2010年は日本山岳協会50周年。愛知岳連でも山岳映画3本と講演会が催された。東京から副会長の神崎氏が来名された。
 映画の部は午後2時からで仕事のある会社員らは来れないから参加者はまばらだった。以下の映画が上映された。
 1マナスルに立つ
 2エベレスト南西壁
 3谷川岳の遭難
 いずれもドキュメントタッチの迫力ある画像が感動を呼ぶ。
 特に『マナスルに立つ』は愛知岳連会長の石川富康氏が少年時代に見て感動し、後年『50歳からのヒマラヤ』を志すきっかけになった映画であった。この映画は見る人が見れば懐かしさが溢れるだろう。ウッドシャフトのピッケル、プラブーツがない時代は皮製登山靴の上にオーバーシューズを履いて更にアイゼンを装着した。ザックもナイロン製ではなくキスリングだった。戦後の日本人が世界的な自信を取り戻したとさえ評価されたマナスル初登頂だった。
 『エベレスト南西壁』は今年ヒマラヤで雪崩で行方不明のまま遭難した田辺治氏が撮影されていた。また名塚秀二氏も今は亡き登山家であった。あんな恐い壁を突破しておればちょっとした傾斜へは不感症になる気がした。ひょっとすると生きて帰れないと知りつつもどんどん危険領域に近づいて行く登山家の宿命である。そんな思いを起させた。
 『谷川岳の遭難』は以前に見た記憶が呼び戻された。山岳版「悲しみの記録」映画であった。あの当時は若者が谷川岳に溢れていた。東京から近くて駅を降りてすぐに登山を開始できる山だった。登山ブームを反映して若い人の遭難が多発した時代でもあった。
 後半は7時からで90%くらい席が埋まった。広島の弁護士で自身も登山家の溝手康史氏の講演「登山の法律学」があった。法的な観点から一般の山岳会の仲間同士では過失は問われない。プロの引率登山には過失が問われる、という。
 事実認定は裁判官の仕事(溝手氏)なのでわれわれリーダーをする機会があるものは自己責任とはいえ過失が問われないようにやることはやらねばならない。従わない人はパーティから外す強い意思も必要であろう。もし亡くなったら遺族との関係になるからだ。

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