中アルプス・北部稜線縦走(大棚入山から木曽駒へ)2010年10月10日

大棚入山に登る  

2001年8/11~8/14      8/11(土) 晴れ後曇り山は霧

 午前7時半きっかり平針駅前で永田良治氏と合流し車を水野二郎氏宅に置く。恵那で水野二郎氏と合流しやっとメンバーが揃う。昨年の御在所岳集中登山以来のパーティである。

 木曽の日義村はいつもは国道19号で通り過ぎるだけの村だが今日は奥深く野上まで入る。宮ノ越の南宮神社のある交差点を右折してすぐにまた右折するとこんな山奥に!と思うほどの立派な二車線の舗装路を行く。やがて右から来る旧道と出会い一車線になる。程なくで野上である。水沢山の北の緩斜面に広がる木曽東古道沿いの取り残されたような山里である。かの南宮神社は鉱山の神様を祀るとか。かつては山奥にマンガン鉱山があったし地形図には桑畑や牧草の記号がある。養蚕の神様と書く本もある。いずれにせよ浮世離れした静かな標高1000mの高原の村である。家構えはしっかりしていて堅実な生活ぶりと察する。村を突き抜けて左右に分かれる。右折してぐんぐん高度を稼ぐとまた分岐で右折する。

 標高点1220mとの切通しに車を停めた。以前は未舗装で法面はなかったのですぐに山中に分け入ることが出来た。午後1時半、少し戻って唐松の林内に分け入り潅木や笹を漕いで登ることになった。20Kgはあるザックがずしりと重く急登がこたえる。道は最初からないのでどこを歩いてもいいのだが幸い踏み跡(獣道)が続くところはそれに従うほうが楽だ。やがて上に向かっていく確かなルートがはっきりしてきたのでRFからも解放される。記憶のある右からの踏み跡をみて左折する。高い桧林の中の笹に覆われた尾根が登って来る所で右折して水沢山の尾根に入る。といってもここも道がある訳ではない。傾斜が緩くなった所でビバークとした。標高1650mの地点である。午後2時半だった。

 立ち木の中でツエルトをタープのように張った。風は通るが広く使える。ガスコンロで湯を沸かしレトルトを温めて食べた。水場がない所では炊事は簡単なものにならざるをえない。夜中には雨が降った。



8/12(日) 霧    水沢山、大棚入山を越えて

 午前6時、うっとうしい霧の中での出発となった。細々続く踏み跡を追って倒木や藪をやり過ごしながら登る。7時20分、開かれた山頂に着いた。最高点を過ぎても三角点を確認出来ずまた戻って確認する。ここから倒木の連続する山稜が続いた。くぐったり跨いだり回り込んだりしながらの難行苦行である。疲れて休むたびにアブやブユに悩まされた。倒木は古い朽ちたものもあれば根っこの新しいものもあった。4合目の栂平はどこかと詮索する余裕もなく過ぎてしまった。たぶん倒木で埋まったあの辺りかと推察するしかない。岳人No137の紀行案内文では巻き道が紹介されているが見当もつかない。標高点2143mからはこぶに達するたびに地形図と高度計で確認する神経質なRFを繰り返す。霧の中で見通しが悪いからだ。岩混じりのやせ尾根となる。山頂は近いぞとピッチを上げるが標高点2320mだった。ようやく日本分水嶺の稜線の一角に到達した。気を取り直して山頂を目指す。腰くらいの笹原と白骨林の中をゆっくり歩くと三角点のある山頂だった。午後12時半。この時点でもう今日中に茶臼山を超えて西駒山荘さえ到達は絶望的となった。気力も失せていた。笹に囲まれて簡単な休憩をとり次のビバーク地である2100mの鞍部を目掛けて下った。これまでよりは倒木は激減して下り易かった。それでも笹に隠れた倒木には悩まされた。しばらくは尾根らしいが傾斜が緩くなると広くなり右よりに振って尾根を外さない様に歩いた。最後の小さなこぶで右の獣道に入ってしまい2100mより下らない筈が高度計を見ると2000mを切っている。木の間越しに東の方を見ると地図に表現されているガレが見えた。すぐに間違いと分かり登り直して正しい尾根を下った。2100mの鞍部は狭いが美しい草原と笹原で落葉樹林の疎林の雰囲気のよい所だった。ここで二日目のビバークとなった。

 草と笹の上にまたがってツエルトを張った。今度はきちんと張った。風もあり2100mの高度も考えると冷えると思われたからだった。一日中霧だった。雨は降らなかったのが幸いだった。午後2時半。出発地から実に10時間余り。岳人No137の紀行ではおよそ7時間20分で茶臼に達しているのだ。大棚入山を巻いているのでそれを加味してもプラス3時間程度だから大変なアルバイトだったことが分かる。倒木を避けるアルバイトと道があるかないかでほぼ2倍違うのだ。疲れた体を横たえていると下界とは違う静寂、涼しい気温で自然な眠りにつけた。



8/13(月)     茶臼を越えて

 またも霧の朝だった。空が明るく雲が切れると周囲の山も見えたがすっきりはしなかった。鞍部を少し戻り偵察した。古い巻き道や鳥屋場小屋の跡がないか見たかった。巻き道には"たから水"という水場があるらしい。そこが5合目でもあるらしい。また濃ヶ池川から登って来る道も気をつけてみたがもう跡形もない。2100mの鞍部からはすぐに急登が始まった。登りきると明るいガレの上縁に出た。草地には花が咲いていた。再び暗い森に入った。平坦なこの2260m峰は例の岳人の紀行にある略図には"村チ10号"とある。山頂は静寂そのものだった。足元は苔むしてふわふわして私たちがまるで初登頂かと思えた。再びコンパスを出して方向を定めた。登山道の跡らしいよく踏まれた道が下っていくが倒木が邪魔でそのとおりには歩けない。鞍部は露を含んだ草が朝日に照り輝き実に美しい。白樺やシラビソの生える緩やかな高原状の山をアップダウンした。余りに美しい草原では足を進めるのが惜しいくらいだった。幾度か休んで写真を撮った。今朝のビバーク地からはハイピッチで歩ける。倒木の少ないことは幸いである。標高点2283mの傍らの 朽ちた倒木には"區劃班界"(区画班界)の旧字体の看板が打ちつけられていた。そんな字にも国有林の歴史を垣間見る。最後の小さなこぶから再び鞍部に下るとき方角の確認を怠り奈良井川の源流に下りかけた。油断大敵である。2210mの鞍部に向けてトラバースしてルートに戻れた。ここでも高度計が役に立った。鞍部から茶臼山に向かって最後のアルバイトが待っていた。

 鞍部がまず倒木地帯だった。続いて岳樺の林は倒木だらけだ。やれやれまた難行苦行が始まる。また地図を確認した。早めに尾根へ上がろう。楽になろう。そう考えて右よりにとったが尾根は這い松と石楠花が阻んだ。仕方なく左へ疎林を求めて行き再び踏み跡を見出した。やはりこれがかつての登山道らしい。徹底してこの踏み跡を追うことになった。やがて樹林が低くなった。その分密集したが探せばあるものだ。めづらしく赤テープまで見つかった。コース中2回目位だろう。何のことはない稜線の這い松を避けてその下をかいくぐって来たのだ。岩が混じりだすともう逃げられなかった。這い松を踏み岩を飛びして登った。這い松の間に踏み跡が顕著になってくるともう山頂は目前に迫った。白砂青松は海浜の美観だが山上の這い松と風化花崗岩のコントラストも美しい。しかし私の手も腕ももうやにだらけになっていた。一杯擦り傷もついていた。見慣れた茶臼山頂へは12時25分着。携帯のスイッチを入れるが早いか清水さんから連絡が入った。「今やっと茶臼に着きました。這い松の藪こぎで悪戦苦闘し時間が大幅にかかりました云々」と現状を伝えた。続いて志水君には残念だが計画の変更を伝えた。合流を断念し木曽駒ヶ岳で前途を打ち切ったことを伝えた。 

 茶臼で充分に休憩をして西駒に向かった。行者岩を過ぎ胸突きの頭が屹立している。その右を巻いて小屋に着いた。今夜は布団の上か。安堵した。ビールを飲みつつ談話を楽しんだ。小屋の客も至って少ない。今夜はカレーに舌鼓を打った。一枚の布団にゆっくり寝られた。

8/14(火)    木曽駒ヶ岳を越えて

 午前6時、今日は良く晴れた。周囲の景色が欲しいままである。6時半。小屋を出発。馬の背コースを歩き登頂。雑多な登山客で混雑していた。玉の窪小屋を経て木曽駒高原スキー場に下山した。



メンバー 西山秀夫、永田良治、水野二郎

地形図 宮ノ越、木曽駒ヶ岳 



2001年07月13日

中ア・三ノ沢岳(2846m)2001.7.13-15    三ノ沢を遡る

 7/14

 三ノ沢へは滑川のゴーロ歩きで始まる。昨年は雑然としていた堰堤工事現場も片付けられて整然としている。上手の堰堤から滑川に入りゴーロの中を歩く。二の沢は知らぬ間に過ぎ、はっきり分かる三ノ沢に入る。谷幅からすれば同格の大きな沢である。少しばかり歩くと両岸の狭まったゴルジュに入り沢歩きに来た気分がしてくる。土砂崩れで荒れていた昨年より落ち着いた感じの滑滝群を通過。小滝の連続する所へ来た。昨年夕立にあって撤退した滝は右岸を高巻きした。するとまた、滝となり息もつかせない。谷幅一杯に広がった雪渓を登る。沢足袋では滑落の不安があり慎重に登った。すぐに分岐へきた。左俣に入ると滝の連続するゴルジュになる。この1年にクライミングの腕をあげた志水君のトップで息もつかせぬ滝を次々越える。ザイル、ハーケン、アイスバイル、スリンゲを活用し時には肩も貸して突破。遂に連続した滝群を突破し終えた。今夜のビバーク用の小台地を探す。不整地だがオアシスのような草地のビバーク地が見つかった。すぐにツエルトを設営し夕食の準備にとりかかった。レトルトカレーとは寂しいが不便な沢の中では致し方ない。石が背中に当たって寝にくいのを寝返りをうって一夜を過ごした。

7/15 

 ビバーク地からもいきなり滝が始まる。ここでもザイルを出して万一に備えた。が気分的にはもう安全圏に来ているので心は軽い。若干の雪渓が残る源流部に来た。崩壊寸前の不安定な雪渓で左岸をそろりと歩いた。いよいよ細流となり水がなくなる。最後の水の少ない小滝で初めて残置ハーケンを見た。周囲はいよいよ高まり、草地は至る所お花畑、白い花、たぶんハクサンイチゲの群落か。信濃金梅も咲く。草つきをよじ登ると陶山尾根の支尾根に着く。這い松を踏みつけながら陶山尾根に合流した。するとかすかなふみ跡があった。尚も尾根の這い松をこぐとついに三ノ沢岳に登頂、ハイカーの多い山頂だった。

 休憩後、つり尾根を歩くが疲労困憊で困難を感じた。ついに宝剣岳の途中で大休みしていると布目、角谷氏らにばったり会う。半ズボン姿の軽装に赤いザック、とても70歳とは思えない身のこなしだ。やっとの思いで宝剣小屋に達する。志水君の重いザイルを北折さんが交代で持ち後半戦に入った。巻き道を歩き玉の窪沢の小屋に行く午後3時となる。突然通り雨が降る。本来ならこの小屋でもう一泊して下山したい。そんな思いを断ち切って上松尾根への巻き道を行く。ここも途中にお花畑があった。俄然少なくなった登山者は木曽側のよさでもある。単独の若い登山者、ロシア人らしい2人連れだけだった。7合目からは体力気力の勝負、ついに闇夜の道を歩く。敬神の滝に到着してほっとする。マイカーに戻ったのは午後9時すぎだった。星空の元を名古屋へと帰る。

私の地域研究「中央アルプスを登り尽くせ知り尽くせ」既報編

中央アルプスと木曽の山 概説

    同上      実践編 以前の記録

中央アルプスの文献ノート

中央アルプスデータベース

Ⅰ念願の念丈ヶ岳に登る00.5.4-5

Ⅱ忘れられた山・アザミ岳に登る00.5.6

Ⅲ廃村大平ノート

Ⅳ濃ヶ池川を遡る00.6.10

Ⅴ安平路山麓の廃村松川入ノート00.6.4

Ⅵ坊主岳00.7.9

Ⅶ-1三ノ沢岳左俣遡行-15mの滝まで00.8.5

 -2三ノ沢岳左俣遡行ー完全遡行01.7.13-15

Ⅷ赤林山と麦草岳00.9.9-10

メンバー 西山、志水、水野、北折



中央アルプスを登り尽くせ知り尽くせ14 02.7.12~14 13日 曇りのち雨  14日 曇り時々雨

 今回の目的は中央アルプス唯一の日本海側からの沢の遡行である。奈良井川は犀川の支流で最後は信濃川に合流する。加えて日本分水嶺を辿って権兵衛峠まで足を伸ばしたいと企てた。天気図には台風がちらつき気がかりではあった。それでも出発したのは御岳の牧尾ダムの貯水量が変わらなかったとの報道が決め手になった。

 金山を出たのが夜9時20分で東別院から伊那ICまでの2時間は高速の恩恵をフルに利用した。伊那からは典型的な山岳路となる。権兵衛峠を越えて奈良井川林道の車止めに着いたのは12時を回っていた。テントに入ってすぐ宴会なしで寝た。翌朝5時15分出発。長い林道歩きが始まった。乗り入れを木曽森林管理所に掛け合ったが登山者にはNOだった。道々の草花に気を紛らした。ホタルブクロがやたら多かった。黒川と分れ、すぐに左へ支線が別れるが右の白川に沿う林道に入る。ややジグザグを繰り返して行くと駒への登山口があった。道は草深い感じで余り利用されていない。ここを見送ってすぐに林道終点となる。さらに細い道が奥へ伸びており水路が横切る。水路に沿って管理用の道があり右折。水路の取り入れ口で終点となり白川に流れに面した。身支度を整えていざ出発。最初は流木や岩で荒れ気味の歩き難い中を遡行してゆく。川原の中にトロッコのレールが埋まっていた。川が広くなって程なく南沢との出合であった。南沢への誘惑を断ち切るように白川へ進んだ。意外に早い進捗は古いデータではもっと早いところで入渓しているから当然と受け止めた。水量はほぼ同じ。出合の3mの小滝を越えた。しばらくは川原歩きが続く。左岸から1本沢が出合う。先に行くと右岸の高いところから大規模に山抜けしたところに来た。新しい砕石で沢床が荒れていたのはこのせいだった。先へ進んで左折すると両岸の山が迫ってゴルジュとなる。最初の滝が現れた。F1、約5m。残念だが流木が詰まり台無しだ。流木を足場にして越すとF2、4mの斜め滝。簡単に越す。ゴルジュを過ぎるとふいに空が開けて明るい。右岸から山崩れで沢が埋まる。すぐ先の3mの滝F3は垂直に落ちている。一旦進んだが直登出来ずに戻って左岸の岩を登る。滝上で左折する。すぐにF4滑滝が続く。難なく進みF5、5mの滝があるが左を登る。4名の女性参加者も慣れてきたのかいつしか先頭をリードしていた。更に空が明るくなり周囲のまだ明るい緑色と相俟って美しい渓谷美に満足する。「初心者向きのいい沢だね」と北折さん。F6F7とすべて自力で遡行していける。しばらくは花崗岩の滑が広がって楽しい気分に浸った。爪で引っ掻いたような沢床にフエルトがよくきく。遠方には稜線が見え始めた。緑の只中にあって雪渓とすぐ上の15mの大滝がかかるのが見える。見ている最中に雪渓が緩んでどんという音と共に崩壊した様を見た。危険だなあ。と一瞬緊張が走る。雪橋はくぐっていけるが後は分からない。ここで北折さんが先頭にたった。一人一人不安定な雪橋を刺激しないように潜った。また雪橋があった。その先は川幅一杯に広がるF8、5mの滑滝であった。そしてF9、10mの滝が落ちる。左を攀じ登る。ついに今回の難場であるF10,15mの滝に来た。悪いことに雷が鳴っている。雨も降ってきた。トップは北折さんが努めてくれた。左岸から滝で落ち合っている支流の滝の水を浴びながら横切って本流の上にでた。ザイルをだしてもらいプルージックで渡りきった。最後尾以外はカラビナの方が早かったかも知れない。これで滝は終わった。あとは傾斜を増した滑が続いた。伏流した沢から草つきの斜面を登り岳樺の林の中を歩いて登山道に出た。高山特有の這い松の藪漕ぎもなく快適であった。この辺りの秋の黄葉がすばらしいだろう。11時半だった。小休止して茶臼山に向った。霧の山稜を行く。行者岩を過ぎ茶臼山へはすぐだった。一昨年の6月には濃ヶ池川を遡行して又昨年の盆休みは水沢山からこの茶臼山までの縦走で精根を費やした思い出の山頂である。中央アルプスの北部は南部以上に忘れられた山域であった。戻って西駒山荘に向った。14時半の到着だった。悪天の割りに早かったのは沢が優しかったからか。林道の出発地から約9時間の沢旅であった。標高差約1400mの堂々とした日本アルプスの沢登りである。

 「昨年もお世話になりました」と管理人にあいさつした。「あああの名古屋からの変わったルートの人ですね」と覚えていた。全員到着を待って濡れ物を干した。小屋の存在はほんとにありがたい。今夜はキャンセルが相次ぎ我々のパーティーだけの貸切となった。夕食は名物のカレーである。食が進んで御代わり続出した。酒と少々のウイスキーが回ったのか疲労からか早めの就寝となった。夜半は風の音が凄かった。

 翌朝は快晴とはならなかった。梅雨空に戻っただけである。盛り沢山の朝食を摂って満足した。今日はピークを踏まないので将棋頭山の登頂を提案した。雨具を着けて出発した。ガスの中では何も見えない。山荘に戻って分水嶺からは胸突き八丁の尾根を下った。左側が昨日の沢である。どおりで沢の傾斜もきついはずである。どんどん下る。大樽小屋を経て分岐から権兵衛峠を目指したが笹が繁茂した辺りで前途を見限った。戻って白川へ下った。林道にはトラックが入っていた。この用水路はトンネルを通って伊那へ供給されていた。天竜の水は落差の関係で利用出来ず木曽から引いていた。伊那の米は木曽の水で育ったものであった。権兵衛峠を越えて木曽へ運ぶ米は伊那の余り米・・・と俗謡に唄われた時代から相互に補完しあう時代になっていたのだ。終点に着いて帰り支度した。帰路、萱ヶ平に寄った。世に忘れられたような山村である。話をした主婦も松本に住んで今日だけ畑仕事らしい。グミの実がたわわになっていたのが印象的であった。今回は凄い滝の登攀こそ無かったがピークも踏み静かな山小屋に一泊して満ち足りた気分で終わった。

参加者 北折、木下、寺東、安藤、横田、西山(記)

2004年09月18日

中央アルプス・玉の窪沢遡行

  山行報告  04.9.18-9.20  小雨後曇り
目覚めてみると雨であった。テント内でグズグズしているうちに6時出発の目標は頓挫。計画もガラガラと音を立てて半壊する気がした。それでも今回は気合を入れ直してせめて岩小屋まででも、と9時50分に出発した。茶臼山までの登山道を歩き、吊橋を見送って正沢川に入る。この感触はいいものである。
 正沢川のゴーロが若干広がった感じがする。今年は何度も豪雨があった。上流からの土砂で沢身が盛り上がっている。水晶沢、悪沢とやり過ごして岩小屋に着く。午後を回っておりここからまだ3時間の遡行でやっとツエルトビバークに入れるがF2の難関の突破が待ち構える。沢の中での日没の早さを考慮して岩小屋でのビバークにした。いくらも行動していないが余裕をもって焚き火の準備にとりかかる。あちこちに転がっている流木を集めると山のようになった。前回は腐葉土の湿った上で何度か試みたが失敗。今回は砂地の上で成功した。瞬く間に燃え上がり薪が減っていくので再び遠くのものも集めた。若干勢いを止めて長持ちさせることにした。熾き火でコッヘルの具を煮た。ガソリンを節約できる。本来、沢では焚き火を活用すれば火器は不要と思うくらいであるがいざということもある。メニューは鍋物である。小寒い9月の沢では最適であろう。渡辺さんが永田さんから伝授されたサトイモをチンしておき、野菜も刻んでおく、とアドバイスしたとおり準備された。そして今回鍋当番の横田さんの離れ技は生肉をキッチンペーパーで包んで冷凍保存したことである。こうしておくと肉汁が解け出て味を損なわないばかりか、痛みにくいという。そんな薀蓄を聞きながら一回、二回と鍋をつつく。沢で冷やしたビール、梅酒も入って薄明るい空の下で夕餉がすすむ。
 焚き火の火勢が衰え始めたと同時にすっかり夜の帳が下りた。岩小屋に戻って寝る支度に入った。といっても特別にすることはない。只ヘッドランプだけでは不便なので1本30分は持つ小さめのローソクを灯した。砂地なので簡単に立つ。奥に3本、入り口に2本立てた。中々にムードが出た。ビバークを楽しくするばかりか、結構な明かりを提供するので貴重な物のである。渡辺さんも最後に岩小屋に来てローソクが灯っているのを見て何枚か写真を撮った。後始末ご苦労さんでしたという、最後の人への歓迎ムードのサインを感じ取ったのであろうか。
 ローソクの灯っている間は会話が途切れなかった。かなり暖かい岩小屋の夜である。
 朝を迎えた。雨は降っていない。昨夜の鍋に残した汁にうどんを6玉放り込んで食う。ほどんど平らげてコーヒーも飲むと体も目覚めてくる。さっさと片付けて6時40分、出発。沢の傾斜が急になる。沢身は土砂と流木が絡み合ってあまり美しい景ではない。沢が落ち着いてくると遡行の喜びも湧いてくる。多くの滝は土砂で埋まったようだ。高巻きする場面は殆どない。所々滑があり美しい。沢が十字のようになったところで難場か、と思われたが意外にするっと抜けられた。ホントにゴルジュ(喉元)という用語のとおりのイメージである。水量が多いと難儀するであろう。
 しばらくで玉の窪沢最大の滝F2が遠く視野に入り始めた。高さ約30mで直登は無理。左岸のルンゼに入り高巻く。虎ロープが切れて残っており利用させてもらった。かなり痛んでいるので信用しないほうがいいだろう。フィックスしてあった幹も志水君が乗ったらぼきっと音がして折れた。ぎょっとさせられた。だましだまし、体重を乗せるでもなく乗せて最大の厭らしい場面を切り抜けた。
 滝の上はまた広くなりゴーロ状で沢身が盛り上がっている。かなり荒れた印象である。難しいところはなく段々高度を上げるにしたがい沢も細くなる。RFは志水、渡辺両氏に任せ切りである。
 源流部は夢のような"さまよい"が待っていた。右か左か、コンパスを出し、地図を広げて検討する。沢は細切れのように分かれている。前方遠くに断崖が見える。あの辺りが木曽駒登山道と出会う最適地と見当をつけていく。けもの道か沢を歩いた先人の踏み跡か、このさすらいに至上の味わいがある。渡辺さんがあの滝を登りたい、と見出した辺りに向かってすっかり細くなった沢を遡る。最後の滝は右岸を巻いた。しばらく歩くと突然水が絶えた。水の音は聞こえている。伏流になったのである。モレーン(堆石)という氷河期の名残であろう。氷河が削った後がカール、カールの底に集まった石がモレーンという地形。石の堆石した下を水が流れている。登山道に出会う手前では水が流れとなっていた。知っているものだけのいい水場である。さまよい始めた辺りから紅葉も源流部では最高に達していた。いずれもナナカマドである。草紅葉もある。夢中でデジカメに納めた。こんな地形も湿原と同様微妙なバランスで成り立っている自然である。7合目の小屋があんな不便なところに建っていてどうしてこんなロケーションのいい水場もあり、平地もあるところに建てなかったか、おそらく自然破壊を考慮した、と考えるのは深読みであろうか。
 登山道に出ると安堵した。夢のようなさまよいから抜け出して広々した空間に出た。ここは麦草岳と牙岩の北のピークから下りてくる尾根にはさまれた開豁な平地であった。今まで何も知らずに歩いていた福島登山道。ただただ木曽駒の山頂を目指すためにだけ歩いた道であった。それがちょっと奥深く入ると豊かな自然の別天地であった。ケモノたちのパラダイスであった。こうして谷底の岩小屋に夢を結び、水と戯れながら遡ってきたことにより木曽駒のもつ魅力の奥深さを知った。
 玉の窪沢の遡行は無事終わった。中央の沢の中では記録が少なく、となりの細尾沢に比べるとマイナーなせいであろう。それでもやはり中央アルプスだけのことはある。スケール、水の清澄さなど中央アの特長は持っている。心残りは木曽駒の山頂を時間切れで断念したことである。しかし、源流部の紅葉は大きな収穫だったし、何より当面の計画を実行できたことが嬉しい。今年の夏は台風や大気の不安定で沢は全然やれず、山頂を踏む山行も躊躇することが多かった。
 新しく買ったデジカメは順調に撮影できPCへの取り込みも成功して、早速HPにアップできた。
参加者 L志水、渡辺、横田、西山・記 
滑を遡行する渡辺さん               玉の窪沢最大の滝 30m  

2006年08月15日

中央アルプス・小黒川本谷遡行(天竜川水系) 

 中央アルプスの将棋頭山に突き上げる小黒川本谷を遡行した。
 12日に入山予定だったが雷雨が激しくて13日入山、14、15日行動と変更した。瀬戸市のKさんと合流してR153を飯田市に向う。天竜川の左岸にある農免道路に渡り松川を目指す。再び天竜川を渡り、松川からは右岸の農免道路を走る。概ね快適である。伊那市に着いて小黒川を溯ると小黒川キャンプ場に着く。既に大勢の家族客で賑わっているのを傍目に更に奥の桂小場を目指した。桂小場は標高1250mあり御在所岳よりも高い。かつてはバスが狭い道を登山客を乗せて走っていたが今はロータリーの跡と待合所が残っている。
 奥まで車を乗り入れてテン場を探したが適地はない。止む無く東屋風のバス待合所跡に寝ることにした。天井もあり急な雨が来ても安心である。
 翌14日。7時20分に車道を奥まで歩き平成13年に完成した大堰堤を高巻いて入渓し信大ルートと別れる。但しゴーロが多く歩きにくい。最初の滝に遭遇するが左岸を巻く。しばらくゴーロが続く。赤ペンキのマーキングがあり、信大ルートと勘違いして登山道に入りゴーロを迂回することにした。二の沢出合いで再び入渓。(後でこのルートは長尾根の頭からのルートと判明)いよいよ本格的な谷の風貌が見えてきた。
 いきなり2m7m8mの連瀑に遭遇。非力な我々の肝試しのような迫力のある滝である。最初右岸を試みるが岩が濡れてスリップし易い。おまけに今日は山中ビバークの用意もあってザックの重さがこたえる。登攀力が一段落ちたみたいで適当な足場を見出せず左岸に移る。流木を利用してガレを慎重に登り木の根を足場に後続をザイルで確保して引き上げる。よく見ると幹に針金が巻いてあり、左岸から巻くのが正解だった。谷に下りるとき信大の高巻き云々の目印を発見した。高巻いてからあっても意味はないが?
 三の沢の出合いからは小滝が続いたが皆直登できる。その後も数mから10mの滝が現れるが高巻きで突破。2段10mの滝は左岸のガレ谷を溯り倒木を避けながら森に入ると踏み跡を見て谷に戻る。枝谷を通過する度に水量が減ってナメ滝が多くなる。技術的には三の沢出合い直後の連瀑以外は皆優しい印象であった。
 二時半、二股に到着。今日のビバークサイトの予定地であるが先行者らが造成したらしい台地がありツエルトを張った。沢に近いところで焚き木を集めて焚き火を試みたが失敗の連続であった。諦めて炊飯の支度にかかったがYが場所を移して試みると最初弱いながらもメラメラと燃え上がる火勢にヤッターと歓声。太い流木も次々投げ入れて焚き火を完成させた。標高はおよそ2000mくらいだから涼しいよりは小寒い。だから焚き火のありがたさが身に沁みる。
 標高の高いところでの炊飯は難しいがふっくらご飯が炊き上がった。ビール、ウイスキー、焼酎で一杯やりながら一日を振り返りかえる。今日は雷雨の心配はなくよく晴れた。眼下には伊那市街が見下ろせた。夕食を済ますと暗くならないうちに就寝の準備。7時前には寝てしまった。用足しに起きた人の話では伊那市の夜景が見えたそうだ。
 15日、段々明るくなる。熟睡はできた。朝食は昨夜のご飯の残りを味噌汁で雑炊とした。ちょっとした惣菜もプラス。さっさと済ましてツエルトを片付ける。夜に降雨がなくて幸いだった。軽量コンパクト化のためにフライシート、マット、ポール、ペグの類は持たない。支柱はストックと適当な細幹の木を切ってポール代用とした。ペグは石で代用する。最近はタープを利用するパーティーが多いようだ。これも理に適っている。
 右股か左股か迷ったが左股にした。右は200mの長い急なナメ滝があるとの記録があって安全を配慮した。水量は極端に減って足を濡らすことも少ない。すべてが滝のような谷を溯る。上部では左右から木の枝が絡むようになる。水もなくなるとルートも見出しにくい。前方が段々明るくなって近づいた気がするが前途には這い松が絡んできた。足で枝を押さえて後続に押さえてもらう間に次の枝を押さえる、そんなことを延々繰り返しながらついに砂礫を見出して這松地獄から脱出した。
 西駒山荘へは10時半着。2時間半かかった。昨日は7時間半だから10時間を要した。2年ぶりに管理人の宮下さんに挨拶。宿泊客を送り出したばかりで外で休憩中だった。毎年小屋開きの案内をもらっている。毎回変なルートから登ってくる、との印象は有るようだ。宮下さんの話では右股が正解だそうだ。コーヒーを頼んでしばし休憩する。
 その後遭難碑と将棋頭山を経巡る。再び宮下さんと談笑して下山の途についた。馬返しからは私も未知のルートであった。途中に山抜けの跡があり登山道が改修されていた。谷のゴーロの供給源はここであったか。唐松林の静かな登山道で水場も豊富だ。特にぶどうの泉は美味い水だった。水場からしばらくで桂小場であった。
 体を拭いて着替え、また農免道路を走った。駒ヶ根高原の一角にあるこぶしの湯という地味な看板を見つけて入湯した。いいお湯であった。(600円)その後園原ICから帰宅の途についた。

06.8.14 二股のビバークサイトで焚き火に成功! 最初に現れた難関の滝で右岸は諦めて左岸を高巻く

下の滝は右岸を行き上部は左岸を巻く 聖職の碑の平から伊那前岳宝剣、中岳、木曽駒を見る

右端に昨年遡行した細尾沢の源流部が見える。 ビバークサイトから左股を遡行開始。





2005年08月16日

中央アルプスの沢旅 細尾沢から伊奈川下降  2泊3日

痛快な沢と沢をつなぐ山旅であった。2.5万図 木曽駒ヶ岳と空木岳。
 8/12夜はKさんの職場近くで合流し、木曽駒高原スキー場へ。ひっそりとしている別荘にも明りがが点され、車が横付けされている。人の気配がする別荘はやはりいいものである。私達は捨てられた消防車のあるいつものところで車中泊。
 8/13朝、空はどんより曇り、今にも落ちてきそうな気配。一旦、6時出発を見合わせた。休業中のスキー場のレストラン前まで行く。ここからは山の様子が良く見えるので朝飯を作りながら稜線を観天望気する。カーラジオで天気予報を聞く限りは余り芳しくない。それでも1時間近く同じところを眺めているとガスが徐々に揚がっていくのが観察できる。こりゃ行くべきだ、と登山口まで戻って出発。7時10分であった。正沢川へ入渓。これで3度目の訪問になる。昨年遡行した玉の窪沢出合を通過。いよいよ細尾沢出合に着く。明るく広いが細尾沢の方が水量が少ないので分流で島になっている、と思ったがKさんが地形図で確認した。
 

正沢川の入渓地付近 左:正沢川本谷 右:細尾沢

細尾沢への途上にある滝 滝の右岸を攀じるKさん

細尾沢は40mの大滝まではやや荒れている感じであった。遠くからでも40mの滝は良く分る。右の枝沢に入り小高く登ってから草付を巻いて滝の方へ風化花崗岩の砂礫の涸れ沢をトラバースしていく。念のためザイルを出してもらった。樹林帯では高く上がり、右に回り込みながら、左に上がると右に涸れ沢を見る崖っぷちに明瞭な踏み跡があり、行きかけたが姿勢が不自然になるので引き返した。左に薄いが踏み跡があり、進んで見ると踏み跡が明瞭になり、細尾沢の落ち口に下れた。1時間近くはかかった。沢の中で緊張感をほぐすためにお茶を沸かした。

細尾沢に近づく 正面からの細尾沢

 ここからは明るい渓相になる。それにいつしか天気が持ち直して遠景もきく様になった。茶臼山と行者岩が間近に見える。滑、小滝が連続して飽きることがない。すべてが直登でき、気持ちがいい。すだれ状に落ちる滝のところで左岸から来る小沢と本流が互いに土砂を押し合って出来たらしい3段の台地があり、焚き火の跡もある。午後2時過ぎ、ここで早めのビバークと決めた。ビバークはツエルトが便利で未だに20年も前のものを愛用している。雨が来たのでKさんの1人用ツエルトをフライに代用したらピッタリ収まった。流木を集めて焚き火の準備をしたが殆どが湿っているためか着火しなかった。着火材が貧弱ではだめなようである。(牛乳パックがかなり有効とネットで知った。)焚き火は諦めて今夜の食事の準備にかかる。今回初めて使う丸型飯盒はレトルト食品の調理に便利であった。ようするに吊るせる取っ手のある深型鍋である。カレーとパックご飯の簡素な夕食を済ました。7時頃にはもう疲れで寝入った。かなり冷え込んできたので雨具を上下着用し、羽毛のベストも着込んだ。シュラフカバーも薄手のナイロンの通気性のいい物だったせいで保温力はないに等しい。軽量化のため快適装備を随分削ったが8時間以上も使用するなら良いものを持って来るべきであった。



8/14 朝はやはり曇りであった。夕べは雨も降った。山頂まであと数時間もかからない地点にいるはず。4時半過ぎ、起床して朝食を作る。朝はやはりお茶とみそ汁がいい。みそ汁は岡崎の某味噌メーカーのフリーズドライ製品を初めて利用したが中々いいお味であった。お湯を注ぐだけの簡便なこと、軽くてゴミが少ない。風味がある。ツエルトを片付けていざ出発。午前6時半であった。
 冷たい沢水に入るとはっと目覚める。いきなりすだれ状の滝を登る。あとは地形図を見ながら延々沢を遡って行く。そのうち、山頂付近が晴れてきた。扇形に広がる源流部に到達した。高山植物の種類も増えてKさんは喜んでいる。沢の細かい分岐が出てきた。細尾の尾根側に近づきすぎないように左に振ったがこれは失敗であった。かなりの高度感があるところまで来て俯瞰すると目指すガレははるか右に見えた。このままでは山頂に直登してしまう。岩場や極端なガレは危険なので予定のガレに向ってトラバースを開始した。低潅木の木や這松をくぐり、またいだりして(Kさんは本格的な藪漕ぎを体験したいらしい)草地に出た。はるか下には草の台地が見えた。本来はそんなところでビバークしたいものである。このミニ藪漕ぎはKさんの期待に応えただろうか。
 滑りやすい草地の急斜面を攀じ登っていくと左から「おーい」とコール。2人のパーティーからであった。彼らはわざと左のルートをとるのであろう。ガレの上に出ると美しい視界が広がった。前岳と麦草岳が並んで見えた。玉の窪小屋も見える。ここから登山道へは低い這松や岩の間を縫って登りながら木曽頂上小屋辺りに出ることが出来た。私達の風体を見て「沢登りか」と小屋の人。
軽く会釈してすぐ近くの山頂を目指す。 
 頂上は沢山の人で賑わっていた。記念写真を撮影し、簡単に腹を満たして、中岳に向う。中岳を越えて難関の宝剣岳である。岩ばかりの道で山頂には憩いの場所さえない。パスして極楽平まで下った。鎖ってこんなに多かったかな、と思うほど難コースである。岩場を終えると極楽平の一角で信じられないほど緩やかな砂礫の稜線である。三ノ沢岳がガスが晴れて三角錐の美しい山容を見せる。行ってみたい誘惑があるが今回はパスする。伊奈川の長い下りに初挑戦するからである。
 14時、三ノ沢岳への登山道を下る。最低鞍部は14時半。お花畑の中に草むらに隠れた踏み跡があり、足でより分け確かめながら下る。旧登山道であろうか。昭和10年、倉本から中八丁峠を越える登山道が御料によって整備された。昭和24年乃至25年に手入れされた古い道である。この当時の紀行ガイドでも桟橋は落ち、倒木が多くて困難、云々とある。
 この一帯は西千畳敷と呼ばれるカール地形である。山の中の草地は別天地の趣きがある。ここに営業小屋ができたら賑わうが自然保護の立場からは反対されるだろう。オーバーユースで荒れるからと木道が整備された尾瀬のようになって欲しくない。一部の知る人ぞ知る秘境を保って欲しい。草地が尽きると同時にあちこちから集まる沢の水も増えてくる。樹林が多くなり、滝場の段差も大きくなってくる。潅木を分けて沢を下っていくと突然前方に遡行者と鉢合わせしてびっくりする。こんなところで人に会うなんて。
 登るには優しいが下るには無理するまいと一箇所のみ懸垂で下降した以外は難場はなかった。三ノ沢岳に突き上げる四の沢は明瞭な沢である。ここから更に段差を下げて下っていく。右岸には断崖も露頭している。ここでなんとか保っていた空模様が怪しくなる。雨具を着た。非常に大きな岩が目立つようになる。左の稜線の方はガスがかかり、地形が把握しにくい。七曲沢が左から合流するはず。そこまで行けば沖積平野があるんではないか。今夜のビバーク地を探しながらの下降が続く。降雨の中、薄暗くなった沢は不安にかられる。
 午後4時半、七曲沢手前で左岸に沢から若干高くなった樹林帯に草地を見出す。岩室もあるが焚き火とか生活の痕跡のない岩室は不安である。もっといい草地はないか、と探したが水から離れることは安全だが不便でもあり、最初の場所に二回目のツエルトを張った。よく見ると草地にかすかな道の跡を見出す。行ってみるとすぐに倒木で塞がれる。かつては小屋でも建っていたいたような小広い緩斜面である。
 昨日は初めての予定されたビバークを体験したKさんももう2回目となるとテキパキとしている。これまでは管理された場所でのテント山行は当然経験済みであるが自分達でテントサイトを探すことまで含めるのは新鮮な発見に満ちたものであろう。沢歩きに関しては絞りに絞り込んだ装備と食料で2泊は私も初体験であった。今夜は白菜とウドンにはんぺんを加えたもの。残りの焼酎を傾けながら深山の不安な夜が更けていく。夜中にフライを叩くのは雨か樹雨か、雨ならば増水が心配だ。下流に行けば行くほど枝沢を集めるから水量が増える。地形的にも倉本道の交差地点は萩原沢岳からの稜線と熊沢岳からの尾根がもっとも接近するところである。おそらくゴルジュに近い渓相と釜、淵が連続するであろう。



 8/15、午前4時。曇りである。それでも朝になれば明るくはなる。雨でなく幸いであった。小鳥が鳴き始めた。今日も悪くはならない、と期待した。みそ汁とお茶は必ず飲んだ。昨夜の残りのウドンと野菜の煮物。5時半出発。すぐ沢に入って下降する。七曲沢らしいところを確認。でたらめに下降するわけにも行かない。左岸右岸の下降しやすいラインを描きながら下る。見込み違いと知れば渡渉で修正する。深いところで腰まで浸かる。左岸側のおお崩れが沢に押し出し、巨岩が散乱している。右岸はへつりにくい岩場である。腰まで浸かるのは不用意に不安定な岩に乗ってバランスを崩さないため。
 地図を出す回数が頻繁になる。右岸の二の沢、三の沢を確認。右岸側の高いところに岩の屹立したキバニ岩、蕎麦粒岳が青空に並ぶ。ここでデジカメの容量が不足で撮影不可能になる。今日最初のお茶を沸かした。一番景色のいいところで過ぎていくには惜しい。川幅が広くなる。倒木流木が多くなる。更に下流に近づくとついに恐れていた淵、釜に遭遇し行き詰る。左岸は急な斜面であるが獣道が見える。地図の林道めがけて獣道を這い上がったが林道は見出せず。 戻って対岸を良く見ると渡渉していけそう。右岸に上がってみると何だ、笹の中に踏み跡があった。これで釜、淵はパスした。基本的には左岸か右岸に上がって巻くことが多くなった。川幅は再び広くなり突然、砂防堰堤が出てきた。右岸を木にぶら下がって下る。次は取水用の堰堤が現れる。左岸の笹の中を行くと堰堤につながる林道に出た。ついに沢から上がった。林道から地図にあるヘアピンカーブの最初のカーブ手前に出たようだ。すると伊奈川の遡行者は林道終点まで行って沢に強引に下りているのであろうか。涸れ沢の橋でまた休憩し、お茶を沸かした。今山行でガスボンベ2個を消費したよ、とKさん。よく沸かしたからね。
 午後2時。林道を下ると約6分で倉本道の道標に出合う。再び伊奈川を渡って倉本道の急な登山道を登りはじめた。疲れた足には負担の多い急登である。八丁清水という湧き水を過ぎると美しい落葉樹の林の中を行く。登りも幾分楽になるころ峠に着いた。午後2時40分。心地よい涼風を満喫する。登ってすぐに下るから八丁か。鎖のあるところも過ぎて急に高度を下げていく。落葉樹の中の美しい笹が一面に繁茂して目に優しい。倉本道は空木岳のメインルートである。ゆえに笹や草を刈って整備するであろう。刈り払われた気持ちの良い登山道を下っていくと林道に下りた。すぐに登山道に続くはずであるが草深い。そのまま林道を歩いた。道々の草花に慰められる。山路ノほととぎす、釣舟草、節黒仙翁など。特に仙翁が多かった。これらの花には初秋の趣きが漂う。鬱蒼とした林からは蝉の鳴き声がけたたましい。「みんみーん」と。突然、林の梢に動くものが見えた。最初は猿とおもったが熊であった。初めて見た。途端に木から下って行った。襲われることもないが自然に足が速くなった。Kさんは早足になった、と笑う。いやはや。
 抜け道を行くとJR倉本駅に近づいた。サイレンが鳴った。午後5時であった。五時五分に駅着。もう歩かないでいい。体の汗を拭き、着替えて5時27分の電車を待った。冷房の効いた列車に乗る。木曽福島駅で下車。ビールで乾杯。タクシーで木曽駒高原スキー場に行く。車に戻り、ようやく終わった気がした。
 山麓の秀山荘で鉄分の多い温泉に入湯。3日分の汗を流した。Kさんにはおまけが付いていた。笹ダニであった。離そうとするが食いついて離れない。正にダニである。強引に離して帰ってから医者に診てもらっては、と提案した。ツツガムシ病の恐れもあるからだ。
 明日は友人を御岳に連れて行くというKさん。若さに脱帽。3日間の同行ありがとうございました。

センジュガンピ 伊奈川から見た蕎麦粒岳周辺

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