溺死のうたに想う2010年08月26日

溺れ死にし出雲娘子を吉野に火葬せる時に、柿本朝臣人麻呂の作る歌
  
山の際ゆ出雲の子らは霧なれや吉野の山の嶺にたなびく

八雲さす出雲の子らが黒髪は吉野の川の沖になづさふ

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 今朝は4時起きして木曽川で行方不明になったという山友の甥(中学生)の捜索協力に行った。現地に行くと川島大橋の下流で発見されたという。午前6時過ぎだっただろうか。
 8/24木曽川右岸から3人で徒河しようと泳いだが2名だけは対岸に着いたが1名が流されたという。300m下流すなわち川島大橋付近までは見ていたが見えなくなったという。急報で消防団らで捜索が開始され、防災ヘリも飛んだが分らず、8/25も発見できなかった。夜、山岳会の会合で捜索の協力の呼びかけに応じて行ったのである。
 遺体が浮いてきたのであろう。溺れた後はしばらく沈むが内臓が腐敗するのか最後は浮く。遺体はきれいな状態だったという。川原への入口はテープで仕切られていた。
 冒頭の和歌もその光景が詠まれたのだ。吉野川に溺死した子がなづさう(水に浮いて漂う。または、水につかる。)という。おそらく同じ光景であっただろう。
 そして現地で荼毘に付した。煙をたとえてその子は霧になり、山にたなびいていますよ、というのだろうか。いいえそうではありません。悲しみを押し殺して詠まれている。
 木曽川で溺死した子は今頃、自宅か葬儀場で丁重に葬られていることだろう。はらからは変わり果てたわが子に泣き、多くの友人らの涙を誘っているだろう。
 早く見つかってよかったと思う。合掌。