平成の「木綿以前のこと」2010年08月13日

 台風が去った。濁流だった天白川も今朝はもう浅瀬が見えて平穏を取り戻した。いつもの暑い夏が戻る。
 今日は湿りをとるために蒲団を干した。シーツも洗った。掃除機をかけて綿ぼこりを吸い取る。その掃除機の中も掃除した。細かいほこりがぎっしり詰まっているのでドライバーでこそぎ取る。こうなると普段手抜きしているあちこちが気になる。扇風機を分解して吸着した綿埃を掃除した。試しにスイッチを押すと気持ちのいい涼風が沸き起こった。
 8/2に突然、15年使用してきた洗濯機の脱水機が壊れた。脱水不能の状態で使っていたが8/9に同じ二層式洗濯機を購入した。メーカーのサービスセンターに電話しても昨年の冷蔵庫と同じく「お客さん15年も使えば充分ですよ」と言われかねない。
 変わり映えしないがこれで充分だ。小さな変化は今日気づいた。水流の切り替えが1つだけに絞られた。しかし旧型でも1つしか使わなかったのだ。綿ほこりを吸い集めるフィルターが大きくなったせいか以前よりも量が増えた。いつもこんなに多かったかなと思うほど多い。
 民俗学者柳田國男の「木綿以前のこと」という随筆は麻を着ていたころは綿ほこりはそれほどなかったが江戸時代に入り、木綿を使うようになってからは綿ぼこリが増えて掃除する手間が増えたという趣旨のことだったと記憶している。
 してみれば朝から綿ぼこりばかり掃除しているではないか。掃除機で綿ぼこりを掃除し、掃除機のフィルターを掃除。洗濯機のフィルターに集まった綿ぼこりを掃除。扇風機に吸着した綿ぼこりを掃除。まだエアコンのフィルターもあるだろう。しかし、暑くなってそこまではもう気力が及ばない。
 夏の楽しみは冷たいビールを飲むこと、怠けること、だらだら過ごすのが一番だ。