涼味満喫2010年08月02日


赤坂谷を溯る
赤坂谷を溯る
左岸からいい足場を選んで簡単に越えられる

赤坂谷を溯る
入水かと思いきや早まるなちょっと待てと声をかけた

北アルプス・薬師岳に登る2010年08月02日

十三重(とみえ)の塔
 7/30夜発、7/31、8/1と薬師岳に登山した。今回の目的は愛知大学山岳部員13名の慰霊である。昭和38年正月のいわゆる38豪雪で登頂を果たした後下山ルートをミスって東南稜に入ってしまった。13名全員が遭難死した。山岳遭難史では八甲田山の遭難に次ぐ大量遭難であった。
 この遭難救助には多くの人、カネが費やされた。愛知大は苦境に追い込まれるが新聞報道で知った人らからのカンパが寄せられて大学の破産だけは回避できた。
 救助活動にもっとも活躍されたのが太郎平小屋オーナーの五十嶋博文氏であった。新婚まもない頃で遺体は東南稜を中心に11体が発見された。最後の2遺体は奥の廊下側で発見され黒部川で荼毘にふされた。これも愛息を失った父親の執念とオーナーの直感が当ったという。

 Pで仮眠後朝7時にあるぺん村に集合、メンバーを編隊して出発。小見からの道は工事中で利用不可(今年度中はだめらしい)なので別ルートから有峰に入る。折立はPは満杯だが道路に溢れるほどではない。仕度を整えて歩き出し、十三重の塔(とみえのとう)に集まり、新しい線香をあげて先輩達の慰霊をする。ここまでは大学の関係者も来るが登山となると大変だ。今回も同窓会の富山支部、飛騨支部、西濃支部有志12名と私で13名となった。奇しくも同じ13名であることに誰もが驚いた。
 参加者は登山の経験者は余りないようで早速1人が足の痙攣に悩まされた。普段の生活はどっぷり不摂生に浸っている。だましだまし三角点を越えたが先でひどくなった。途中で登山道脇にツムラの芍薬甘草湯の袋が落ちていたのを拾って広い休み場で中高年パーティに「この薬持っていませんか」と呼びかけたら親切女性が譲ってくれた。サンキュー。当事者に飲ませてこの薬の薬効の顕著なことを含ませて小屋まで頑張るように激励した。小屋近くになって効いてきた気がする、という。まあ良かった。
 小屋のオーナーにごあいさつ。早速ビールでミニ宴会をやった。寮歌まで飛び出た。オーナーからも差し入れを頂いた。ニコニコと優しい笑顔で登山者の世話をするオーナーである。
 8/1は5時半過ぎ出発。オーナーの説明を受けながら登山する予定だったが都合で土井氏にバトンタッチされた。彼は富山県警山岳救助隊で活躍した人である。薬師峠を過ぎると登山道は急になり、沢沿いに登る。流れに沿いながら行くと伏流したところに着き一服。最後の水場である。冷たくて美味しい水だ。ここでは昭和38年ころの冬山登山の道具の話が出た。テント生地は綿布(かビニロン?か)。とても重い。私が30年前に薬師峠から黒部五郎岳、笠ヶ岳と縦走した頃でもテントは家型綿布製で重かった。10Kg以上はあったから装備分担は慎重に行った記憶がある。学生たちは恐らく35kgはかついだのではないか、と土井さんはいう。深雪のラッセルも大変なアルバイトだっただろうという。日本海側の雪は重くて多いのだ。2人が空身になり雪を押しのけながら道を作っていく。疲れると次の人に交代し、ザックをとりに行く。これを繰り返すのだ。
 薬師平に着く。草原と矮小化した樹林の美しい平である。休みながら説明を聞く。前進キャンプがあった場所だ。ここのケルンも遺族が建てたとか。ハクサンイチゲ、シナノキンバイなどが咲くのを見ながら薬師山荘に行く。草原を抜けると砂礫の狭い尾根道である。古い山荘はなくなり、完成間近の山荘が姿を見せた。高度が上がると槍穂高、笠、黒部五郎、水晶などが雲海の上に浮かんでいるのが見えた。
 山荘から先は森林限界を抜ける。小さな砂利の道をモクモク登ると東南稜の分岐であった。ここが運命の分かれ目だったのか。ケルンの中に木の仏が安置されている。全員で慰霊の黙祷、そしてだれかが持ってきた印刷されたお経の文を見ながら般若心経を唱えた。
 分かれ目は北西の風雪が容赦なく吹き付ける。地形的に観察すると季節風に押されてしまいそうだ。風速3、40m?はあろうか。視界は3、4m?か。ホワイトアウトの世界を彷徨したのだろう。テントも飛ばされる強烈な風に抗しながら・・・・・。1年生を守りながらビバークした形跡もあったという。
 すぐ近くに聳える薬師岳に足を向けた。登山者は少ない。記念写真を撮影。金作谷の話を聞く。カール地形が美しい。昨年上ノ廊下側から見上げたときは凄い崖になっていたことを想い出す。
 慰霊登山の儀式は終わった。太郎平に向けて下山した。あるメンバーが不整脈が出た、と不調を訴える。こりゃ大変。薬師平からはザックを土井さんが担いだ。凄い人だ。こんなにも急だったかと想うほどきつい登山道である。しかし、東南稜に眠る御霊が見守ってくれて無事に小屋に着いた。土井さんに礼を述べて分かれた。不整脈氏が小屋に常駐する医師からさんざんに脅かされていた。電解質の水を呑みなさいと処方されていた。アルコールはだめ、とも。医師自身も入山の3、4日前からコンディションつくりのために飲酒を控えると説明していた。飲みすぎもあったようだ。
 昼食後は折立に下るだけとなった。濃霧の中を下山した。ぬかるんだところもあって大変だった。折立は曇り空でどうやら雲の中を下ったようだ。再び車を再編成してあるぺん村に戻る。支部の人にお膳立てを謝して分かれた。