中坪達哉著『前田普羅』その求道の詩魂 管見2010年04月22日

 4/17(土)に行われた俳句雑誌「辛夷」の創刊1000号を記念して主宰の中坪達哉が刊行。富山市の桂書房。2100円。書店で買える。
 求道とは真理や宗教的な悟りを求めて修行すること。詩魂とは詩を作る心。詩に対する情感。と説明される。やや硬い題名であるが本書の中核をなす普羅の俳句文学論のエッセンスでもある。本書は

第一章普羅の『辛夷』を継いで
辛夷との出会い、普羅との出会いが自然の成り行き。普羅に学ぶこととして1地貌論に基づいた作句の徹底2丈高い立句を目指す3高邁な作句精神に学ぶ。主宰としての信条の公開である。

第二章普羅の求道の詩魂
普羅は山岳俳人ではない、と否定的な論を展開し世評高い山岳俳人のレッテルに疑問を呈す。山岳という狭い範囲の中だけで活躍したのではない、というのだ。その通りである。
 続いて普羅と富山、普羅の地貌論、雪の俳句、老いと漂白、普羅の言葉、俳句は求道のあふれたもの、宗教的なまでの省略などで弟子たちによって神格化されつつある普羅の詩魂を解き放そうという試みである。弟子たちが匙を投げた部分に切り込んだわけであるがなお理解しがたい。

 大正昭和によく読まれた本に阿部次郎の『三太郎の日記』がある。内容的には
「永遠の青春の書として大正・昭和期の学生の必読の書であった。「三太郎」に仮託して綴られる、著者の苦悩と内省、自己を確立していく豊かな感受性と真摯で強靱な思索のあとは、多くの学生に圧倒的な共感をもって支持され、愛読されてきた。人間存在の統一原理を、真善美の追究による自己の尊厳という「人格」におく、著者の「人格主義」につながる思想が横溢。 」
 他に日本最初の哲学書である西田幾多郎『善の研究』は明治44年の刊行なので普羅26歳のころ。大正13年の関東大震災の朝も出かけるときに手に持って出た本であった。本書を手にして自己とは何か、と考えたであろう。研究家の中西舗土もそこまでは追求しなかった。彼が人生の悩みというのは多分に青年期にありがちな哲学的な思索であったと思う。
 普羅の精神を探るには最低でも以上の二冊を読んで自分が理解しないと迷路に入るし匙を投げることになる。当時の風潮としてみんなが読んで分かったふりをしていたきらいがある。そうしないと馬鹿にされたのである。
 普羅の弟子たちが理解できなかったのはこうした哲学書の読書と思索の差が余りに大きかった。一般市井人はまず手にする本ではないと思える。
 普羅の哲学的な態度は生涯変わらなかったと思う。山本健吉も加藤楸邨もそこをはやとちりして普羅をして「狷介固陋」という不名誉なレッテルを貼った。お二人は古典文学の教養こそあっただろうが哲学的なことには疎かったと思われる。専門馬鹿ということか。普羅こそ人間探求派だったのではないか。当時二十歳代後半のお二人には若気の至りであった。

第三章普羅と語る
46句をとりあげて鑑賞文をしたためた。本書のための書き下ろした部分である。全部で240ページ中50ページが割かれた。第五章と合わせて本書の半分近くを占める重要な章。普羅を理解するには結局作品の正しい鑑賞に尽きる。

第四章普羅の地貌諷詠
すでに俳句雑誌に投稿した論考がまとめられている。あちこちで詠んだ俳句を無造作に一まとめにはしたくないのである。ある地域でこそこの句が生まれたのだから地貌という言葉を持ち出して地域別にまとめる。


第五章普羅と辛夷俳句
67ページもあり最多のページ数である。文章家でもある中坪主宰の投稿文のまとめである。版画家棟方志功との関係などをしることができる。
付録(前田普羅作品集/普羅の言葉)からなる。

 以上は『辛夷』人の手になる初めての普羅論ではないか。直系の結社に今までこれだけまとまった普羅論はなかった。外部の岡田日朗、弟子だったが『辛夷』の外の人であった中西舗土らがまとめてきた。その意味でも意義深い出版であった。ようやく普羅を客観的に研究できる土台ができた。