トムラウシ遭難事故最終報告 ― 2010年02月25日
中日新聞朝刊33面で昨年夏、トムラウシ山のツアー登山で18人中8人の死亡者で世間を驚かせた遭難事故の最終報告が出たと報道された。朝日新聞朝刊では3/1から日本山岳ガイド協会のHPでも公開されるとのこと。
ガイドの判断ミスを第一としてガイドとツアー会社、客の能力向上が喫緊の課題と指摘した。
指摘された点は次の通り。
①厳しい自然の中で参加者を導くガイドの責任は重く、知識、技術、経験を備えたガイドの養成が急務。
②ツアー会社の安全管理責任としてA悪天候での危険回避に対する判断基準が無いBガイドの実力を過大評価したC参加者の募集基準が甘いなど。
③問題提起として「百名山などの付加価値に着目し、旅行業界が登山を安易に商品化していないか」
④旅行気分の参加者にも最終的には「自己責任」が基本と指摘。
⑤中高年のツアー登山客にたいして「いたずらにピーク(登頂)をコレクションせず、経験を重ねる山の面白みを実感して欲しい」と登山の基本的な楽しみや心構えを説いている。
また、ガイド協会の資格検定を国家試験にするのも課題に挙げる。
以上は目新しいことはない。昨年7/25付けで書いたこととほぼ同じであった。
①と②は一体で不可分の要素。世渡りと同様で判断がすべてである。的確な判断力を身に付けるには地域に精通する以外にない。普段は快適な大都会で暮らしていては気象判断すら出来ない。ゲレンデ化した岩場の登攀技術は余り必要ではない。ガイド協会の幹部に登山技術至上主義があるように思う。海外遠征歴などを重視しすぎであろう。繰り返し同じ山に登り、地道に覚えるしかない。
④の客の自己責任には反論があるかも知れない。しかし株式投資を指南する本にも「命から2番目に大切なお金を投資するには自己責任で・・・」と説かれる。まして命がかかった登山ではお客といえども責任を意識することは当然だ。事故で助かった人はガイドを無視して(ガイドに頼らず)自力で下山している。
③と⑤も一体のもの。コレクターがいるからツアー会社の商売がなりたつ。ガイド業もビジネスになるのだ。大好きな登山で飯が食えるのは魅力的に見える。しかし、責任は考える以上に重い。投資ではカネを失うだけであるが登山で命を失って保険でカネを保障してもらっても浮かばれない。やっぱり自己責任を意識して参加を申し込むことだろう。
ガイド資格の国家試験化は大変難しい。岩登り、ロープワーク、生活技術、山の文化的知識などは実技、ペーパー試験で問うことは可能だが・・・。第一試験委員にはどんな素養がいるのか。
優れた登山家ほど危ない思いを何度も潜り抜けているものである。そんな登山家が試験委員になるだろうか。事故を起こす登山ガイドは大抵は大都会に住む。地元で生まれ育ったガイドならそんな大きな間違いはしない。郷に入りては郷に従えなのだ。登山ガイドは地域性が非常に強い職業であるからだ。
名古屋の有力山岳会員が冬の黒部で遭難した際も信州のガイドや登山家は私らはあんな時機に絶対に行かない、と言っていた。都会人は怖さを知らない。怖さ知らずをアルピニズムと勘違いしている。
実施するに当たっては国の一元ではなく都道府県単位で各県別に許可申請を出すシステムを整えたい。北アルプスのガイドなら長野、岐阜、富山、新潟各県にガイド許可を申請するのだ。地域の特性に応じた知識、気象、経験を求められれば容易でないことが認識される。東京に本部を置く山岳ガイド団体では地域の特性まで把握は出来ない。面倒だが人命には換えられない。
メモ
日本山岳ガイド協会の特別委員会(座長。節田重節)
節田重節(せつだ じゅうせつ)氏の略歴
株式会社 山と溪谷社 取締役編集統括本部長
1943年 新潟県生まれ。明治大学法学部卒業
1965年 株式会社 山と溪谷社 入社
『山と溪谷』編集長、山岳図書編集部長などを経て現職。
明治大学山岳部OB、日本山岳会会員、植村直巳記念財団評議員
ガイドの判断ミスを第一としてガイドとツアー会社、客の能力向上が喫緊の課題と指摘した。
指摘された点は次の通り。
①厳しい自然の中で参加者を導くガイドの責任は重く、知識、技術、経験を備えたガイドの養成が急務。
②ツアー会社の安全管理責任としてA悪天候での危険回避に対する判断基準が無いBガイドの実力を過大評価したC参加者の募集基準が甘いなど。
③問題提起として「百名山などの付加価値に着目し、旅行業界が登山を安易に商品化していないか」
④旅行気分の参加者にも最終的には「自己責任」が基本と指摘。
⑤中高年のツアー登山客にたいして「いたずらにピーク(登頂)をコレクションせず、経験を重ねる山の面白みを実感して欲しい」と登山の基本的な楽しみや心構えを説いている。
また、ガイド協会の資格検定を国家試験にするのも課題に挙げる。
以上は目新しいことはない。昨年7/25付けで書いたこととほぼ同じであった。
①と②は一体で不可分の要素。世渡りと同様で判断がすべてである。的確な判断力を身に付けるには地域に精通する以外にない。普段は快適な大都会で暮らしていては気象判断すら出来ない。ゲレンデ化した岩場の登攀技術は余り必要ではない。ガイド協会の幹部に登山技術至上主義があるように思う。海外遠征歴などを重視しすぎであろう。繰り返し同じ山に登り、地道に覚えるしかない。
④の客の自己責任には反論があるかも知れない。しかし株式投資を指南する本にも「命から2番目に大切なお金を投資するには自己責任で・・・」と説かれる。まして命がかかった登山ではお客といえども責任を意識することは当然だ。事故で助かった人はガイドを無視して(ガイドに頼らず)自力で下山している。
③と⑤も一体のもの。コレクターがいるからツアー会社の商売がなりたつ。ガイド業もビジネスになるのだ。大好きな登山で飯が食えるのは魅力的に見える。しかし、責任は考える以上に重い。投資ではカネを失うだけであるが登山で命を失って保険でカネを保障してもらっても浮かばれない。やっぱり自己責任を意識して参加を申し込むことだろう。
ガイド資格の国家試験化は大変難しい。岩登り、ロープワーク、生活技術、山の文化的知識などは実技、ペーパー試験で問うことは可能だが・・・。第一試験委員にはどんな素養がいるのか。
優れた登山家ほど危ない思いを何度も潜り抜けているものである。そんな登山家が試験委員になるだろうか。事故を起こす登山ガイドは大抵は大都会に住む。地元で生まれ育ったガイドならそんな大きな間違いはしない。郷に入りては郷に従えなのだ。登山ガイドは地域性が非常に強い職業であるからだ。
名古屋の有力山岳会員が冬の黒部で遭難した際も信州のガイドや登山家は私らはあんな時機に絶対に行かない、と言っていた。都会人は怖さを知らない。怖さ知らずをアルピニズムと勘違いしている。
実施するに当たっては国の一元ではなく都道府県単位で各県別に許可申請を出すシステムを整えたい。北アルプスのガイドなら長野、岐阜、富山、新潟各県にガイド許可を申請するのだ。地域の特性に応じた知識、気象、経験を求められれば容易でないことが認識される。東京に本部を置く山岳ガイド団体では地域の特性まで把握は出来ない。面倒だが人命には換えられない。
メモ
日本山岳ガイド協会の特別委員会(座長。節田重節)
節田重節(せつだ じゅうせつ)氏の略歴
株式会社 山と溪谷社 取締役編集統括本部長
1943年 新潟県生まれ。明治大学法学部卒業
1965年 株式会社 山と溪谷社 入社
『山と溪谷』編集長、山岳図書編集部長などを経て現職。
明治大学山岳部OB、日本山岳会会員、植村直巳記念財団評議員
伊木山吟行 ― 2010年02月25日
木曽川の夕暮れ富士の笑うなり
三味線の音長閑しや伊木の森
暖かやうっすら汗をかき登る
背比べの尾張三山霞むなり
御岳と乗鞍岳の雪解川
春禽のあちこちするや伊木の森
かたじけな本賜るや梅の花
三味線の音長閑しや伊木の森
暖かやうっすら汗をかき登る
背比べの尾張三山霞むなり
御岳と乗鞍岳の雪解川
春禽のあちこちするや伊木の森
かたじけな本賜るや梅の花
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