三河の低山散歩 ― 2010年02月13日
1/23の岡崎市蓬生町の三河富士を再訪した。何とか富士の類ではなくそれしか名前は無い。先回、時間切れで登山口のみ確認しておいたから何とか行けた。地図上に破線路はなく山名表示もない。しかし、立派な登山口の石碑、鳥居、整備された登山道があり知る人ぞ知る三河富士である。
最終の民家を過ぎてすぐに鳥居のあるところが登山口であるがPはないので奥へ林道を走る。小広い所に止めて先まで歩く。ちゃんとしたPがあって右には登山口の石碑があった。浅い谷から尾根に登ると分岐がある。小高いコブを越すと神域のためか植林から針葉樹と太い雑木が生える林を行く。約30分弱で最後の急な坂を登りきると浅間神社が建つ山頂に着いた。風化した石碑の文字はどうにか嘉永と読めた。昔は富士山も見えたのだろうか。今は樹林の中ではっきりした展望は無い。すぐに下山して分岐からは尾根道を辿った。するとちゃんと鳥居のある登山口に下った。車まではいくらも無い。
これで一つ済ますと次は村積山に転戦する。250m余りの4等三角点の山である。ここは別名三河富士と呼ばれる。ほとんどは舗装路でつまらない山であるが地元の人は散歩に結構登ってきていた。そんな山である。
更に時間があるので十明山へ。Iさんのプリウスのナビ任せの運転ではどこへ行くか分からないので地図が離せない。南口から山腹の狭い道を走ると分岐があり、そこから車を置いて登ってみたら15分で山頂だった。いくつもの鳥居や神様が祭ってある一風変わった山である。一段下ったところで休んでいるとHさん一行も登ってきた。彼らも村積山と焙烙山に登り、ここが3座目とのこと。しばらく歓談して分かれた。後はまたナビをセットして帰宅の途についた。
いよいよ山笑う季節も近い。浅春でまだ風は冷たいが日が長くなり気分は春を覚える。
春日や三河の山をはしごして 拙作
最終の民家を過ぎてすぐに鳥居のあるところが登山口であるがPはないので奥へ林道を走る。小広い所に止めて先まで歩く。ちゃんとしたPがあって右には登山口の石碑があった。浅い谷から尾根に登ると分岐がある。小高いコブを越すと神域のためか植林から針葉樹と太い雑木が生える林を行く。約30分弱で最後の急な坂を登りきると浅間神社が建つ山頂に着いた。風化した石碑の文字はどうにか嘉永と読めた。昔は富士山も見えたのだろうか。今は樹林の中ではっきりした展望は無い。すぐに下山して分岐からは尾根道を辿った。するとちゃんと鳥居のある登山口に下った。車まではいくらも無い。
これで一つ済ますと次は村積山に転戦する。250m余りの4等三角点の山である。ここは別名三河富士と呼ばれる。ほとんどは舗装路でつまらない山であるが地元の人は散歩に結構登ってきていた。そんな山である。
更に時間があるので十明山へ。Iさんのプリウスのナビ任せの運転ではどこへ行くか分からないので地図が離せない。南口から山腹の狭い道を走ると分岐があり、そこから車を置いて登ってみたら15分で山頂だった。いくつもの鳥居や神様が祭ってある一風変わった山である。一段下ったところで休んでいるとHさん一行も登ってきた。彼らも村積山と焙烙山に登り、ここが3座目とのこと。しばらく歓談して分かれた。後はまたナビをセットして帰宅の途についた。
いよいよ山笑う季節も近い。浅春でまだ風は冷たいが日が長くなり気分は春を覚える。
春日や三河の山をはしごして 拙作
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