西三河・富士塚を歩く2009年11月04日

富士山大権現の石碑
 朝起きてみると今日も快晴である。ハローワークへ先に行く予定が山の方を優先してしまった。こんな快晴の下で屋内には居れない。
 県道58からR419に左折。コンビニでちょっと買い物。ほとんど信号のない道を快調に走る。旧小原村に入ると四季桜まつりののぼりがはためく。四季桜とは冬も咲くのだろう。
 目指す富士塚553.5m(2.5万図:猿爪)は3等三角点の点名である。とりあえずは上仁木町の交差点はやり過ごして北面の粉野からの破線路を探ろうと走ってみたがそれらしい道は見つからず、谷合の山間部に乗越してしまい、岐阜県に入ってしまうので戻る。
 やはり、上仁木町の交差点を小村峠に向う。峠から左折して細い道に入る。舗装路である。若干下ったところは富士塚の南の浅い谷である。ここで標高は約500mあるからその差は53mしかない。谷に沿う下苅線と書かれた林道が見えたが右の尾根に取り付いてみた。下草は全くないし、藪もない。そのまま尾根に沿い、小笹をかき分けて高みを目掛けて行くと富士山大権現と彫られた小さな石碑があった。となりには三角点もあった。約10分もかかっただろうか。11時57分に入って時計を見ると12時過ぎでいくらもかかっていない。山頂は樹林の中で何も見えず。かつては富士信仰があったのだろうか。山やさんが来た気配は全くない。
 長居してもおれないのですぐに元の尾根を辿った。赤い布もなく一旦下ると尾根が不明瞭なので谷に入りそうになる。また尾根に戻ると山頂へきてしまった。いわゆるリングワンダリングである。今度はドンドン下るといい道が現れた。作業道である。これを辿ると林道に広がった。明るい場所に着いてみると何と出発前に見た下苅線であった。ラッキーだった。かなり下のムラまで下っている錯覚があったが。1時間もかかっていない。
 地形図ではほぼ三方向に尾根が広がり、この辺では最高所であるからかつては富士山を崇める信仰の山だったかもしれない。
 下山後はR419に戻り、松名で左折。杉田久女の句碑を訪ねた。新しく長女の石昌子さんの墓も建立された。2007年1月28日に95歳で死去された。いつきても誰も居ないが墓域に草が生えた感じはなく、山門には訪問者へのささやかな案内書きもある。
 活動の拠点が九州だったために愛知県に研究者やファンはいても弟子がいないことが災いしているのだろうか。久女はここに嫁ぎ、石昌子さんはここで生まれたのだ。もう少し整備が行き届かないものか。
 句碑を辞するとPの四季桜が青空に映えて美しい。

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