奥三河のあけぼの2009年10月31日

三ッ瀬明神山の左となりの奥から日の出を見る
 夜明けの類語を調べると曙、黎明、暁、東雲、朝ぼらけが頭に浮ぶ。S君と山岳写真家の真似事をして夜明けの明神山を撮りに行こう、と提案しておいたら31日に実施することになった。30日の深夜を超えてもまだ来ない。午前を廻ってやっと来た。仕事で遅くなったらしい。
 道の駅名倉で極短時間の仮眠後、設楽町の和市へ走る。R257は深夜でもかなりのトラックが走っている。東海道から信州へ抜けるにはいいルートなんだろうか。
 かつて岩小谷山へは堤石峠を経て登山し、トンネル付近に下った記憶があるが今、来てみるとすっかり忘れていてたじろぐ。ヘッドランプには壊れたような岩小谷山遊歩道の案内の看板が見えたのでここしかないという感じで4時15分頃、登り始めた。最初はコンクリートの階段を登る。大きな岩屋、岩壁などを経て急な階段を行く。鎖、手摺もある大変な遊歩道である。
 行き過ぎては戻り、しながら登る。夜道はほんとに不安だがまだ登りだからいい。これが下りだったら危険である。高度計でほぼ300mを稼ぎ、45分で見覚えのある頂上に5時に着いた。頂上から堤石峠よりに大きな岩場の展望台があり、そこからポイントを探した。S君は三脚をセットし、レリーズを付けて本格的であるが私は手持ちである。
 待つこと20分。東の空が明るみ始める。カメラを構えてシャッターを押すが光量不足のせいか押せない。おまけにストロボが作動するが解除の方法はマニュアルがないと分からない。すでに山岳写真家は失格だろう。明けの明星が唯一つ微笑むような輝きを見せる。登る時は星座が輝いていたのに。
 東の空がすでに朝焼けで美しい。太陽が昇ってくるまでの若干の時間帯のみの色彩を放つ。これが東雲=しののめであろうか。昔の家屋は東側に明り取りの目を付けた。これは篠の素材で編んだ。だから明るくなると篠の目というようになったとか。明けの明星もいつしか消えた。
 何度かシャッターを押すと写るようになった。山岳のマークがあるダイヤルだけが撮影できた。勉強不足、使いこなし方が足りない。間をおかず何枚も撮影した。目で見る以上に美しい。
 すっかり明るくなり、撮影は終った。頂上に戻って朝食のおにぎりを食べた。すると東の空がまた一段と輝いた。6時過ぎにやっと日の出を拝んだ。下山は30分だった。三河の何ら登り甲斐のないような山でもこんな朝方なら今までにない楽しみ方を発見したような気分である。北アルプスのご来光見物や富士山、御嶽では夜間登山もやり有りがたがっているがこんな低山では聞いた事がない。S君も仕上がりが楽しみといっている。

奥三河のあけぼの2009年10月31日

東雲の空を背後に三ッ瀬明神山
まだ明けぬ奥三河の山村。雲海の下には人々の暮らしが息付く。

奥三河のあけぼの2009年10月31日

東雲の空に浮ぶ秋の雲
左の山は平山明神山。