「岳人」11月号(NO749)を読む2009年10月16日

 今月号の第一特集は「山にひそむ危険」。これまでの山岳雑誌は特に冬山でも晴れた美しい雪山の写真をクローズアップして登山に誘う傾向があった。現実の冬山は荒天続きと思うのだが。そして実際に気象が急変すると四季を通じて山岳遭難が多発した。山岳雑誌が招く遭難もあり、と思う。商業誌の記事を鵜呑みにしてはいけない。
 それが一転して登山の危険を前面に打ち出すことに転換したのは編集子に中高年層の山岳遭難の多発傾向に歯止めを掛けたい思いがあるからだろう。自己責任で突き放すのも常識であるが商業誌としての贖罪意識もあろう。読み進むと単なる山の危険への警鐘と指導でなく”防衛登山の勧め”が意図として見える。
 中でも身近な”鈴鹿山行から学ぶ”や併行してコラムで”自然にまつわる危険”がベテラン登山家・高桑信一から発せられる記事は薀蓄が深い。思わず膝を叩いたのは”積極的なビバークのすすめ いざとなったら眠っちゃえ”が特筆される。8月に亡くなった私の大先輩のMさんは自らツエルトを常に携え、「幕営学博士」を自称してたほどで手慣れたものだった。
 昨年の秋も昨今のベテラン登山者の高齢化で思わぬ遭難死にショックを受けてリーダー級の人らに踏み跡程度の藪山登山と赤谷でツエルトビバークの講習の機会を持ったばかりであった。そこで焚火の実践と持ってはいるが使ったことがないツエルトを張って一晩を過ごしてもらった。殆ど廃道になった登山道では赤布を結び、地形図とコンパスの限界を知り、記憶や経験に頼らないで藪山登山の実践を通して山の危険を学んでもらった。座学と2日間の講習で言ったことはそれこそサバイバル登山家・服部文祥のいうように”無理して下山するな!適地でビバークしちゃお”ということであった。
 折りしもこの時節は日没で下山できず、という遭難或いは遭難騒ぎが多い。それに狙いを定めたわけでもあるまいが心ある人は購入し良く読んで実践するといい。
 他には和田城志の「剣沢幻視行」が面白かった。この秋に溯行した黒部川を厳冬に渡渉している。しかも同年齢ということに驚く。あんな場所に冬に入山する人がいるのである。登山のスキルとレベルの違いというよりは志の高さの違いに敬意さえ抱く。
 「越後の紅葉登山に外れなし」と先輩がいうが浅草岳の秋の紅葉も素晴らしい。去年の春にスキーで喘いだ浅草岳と初めて登った5年前も春スキーを楽しんだ鬼ヶ面山も全く違う山に思える。季節を変えて行きたい気がする。 
 上田茂春の「山書つれづれ」では小島烏水の『山水無尽蔵』が」紹介されている。明治35年、小島は岡野金次郎と槍ヶ岳登山を目指す。そのルートは霞沢を溯行して霞沢岳に登ってから上高地に下って槍に向ったという。槍の登山は果たしたが実は明治25年にW・ウェストンらは平湯から安房峠を越えて徳本峠を経て上高地入りし、槍ヶ岳登山を果たしている。
 そのことを知るのは岡野が勤めていたスタンダード石油で偶然に見た『日本アルプス 登山と探検』(明治29年)の原書であった。その中の槍の写真を見て驚き、著者のW・ウェストンに近づいていく。苦労して登った槍を彼はもう10年も前に楽なルートから登っていたのだった。情報収集力の違いに愕然とした。これが機縁となって明治38年の山岳会創立につながっていく。日本近代登山史の記念碑的な本なのである。この件は同じ日本山書の会の水野勉が平凡社ライブラリー版『日本アルプス登山と探検』の解説に詳述している。

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