黒部川・上ノ廊下・紀行編-薬師沢の一夜2009年09月25日

 9/22は最後の夜となった。薬師沢小屋から1時間弱溯った辺りの中洲に素敵なビバークサイトが得られた。砂地の上で寝やすかったし、2回目の焚火も豪勢にやれた。
 9/23の今日はもう太郎平を越えて折立までの下山あるのみである。焚火の始末を終えて、ツエルトを撤収すると再び砂州だけの世界に戻った。寒い朝だった、と口々に言い合う。
 重たいザックを担いで薬師沢を再び溯行する。相変わらず滝は無く、深淵もない平凡な沢である。ほとんどは河原歩きに終始する。左俣出合い、右俣出合いを過ぎて更に小沢を分ける。登山道が交錯する所に着いた。ここで私は更に溯行を続ける2人と別れて登山道に上がった。
 標高が高くなったせいか周囲は草紅葉に染まる。赤や黄色の錦に彩られた薬師沢源流である。彼らも最後はここで沢から上がる分岐で私は沢装備を解いた。背に負う重さは増えるが足枷が無くなり軽快に歩けた。高度はグングン上がり、ほどなく小広いところからは樹林が低くなり、黒部源流が俯瞰できた。
 太郎平から薬師沢源流は薄い雲が点々と広がる。鷲羽岳、黒部五郎岳といった方面は雲に隠れる。それゆえに雲の平なのである。薬師沢の右俣、左俣一帯は黒木が主であるが岳樺の黄色、ナナカマドの赤色が点々と映えて誠に美しい。しばらくはぼーっとして去りがたい気になった。その中に彼らにも追いつかれた。太郎平へとのろい歩みを進めた。
 思えば19日には折立に下山後のアクセスがスムースに運ぶようにマイカーをデポしておいた。タクシーで立山駅に運んでもらい、ケーブル、バスで室堂まで上がった。そこからは薬師岳への縦走路を南下した。中秋というのに暑いくらいである。しかし、風はさわやかで明らかに夏とは違う。竜胆が一人旅を慰めてくれる。その夜は五色ヶ原山荘に泊まった。
 20日は五色ヶ原山荘を出発して黒部湖に下り、平の渡しで対岸に着いた。お盆に歩いた登山道を今度は奥黒部ヒュッテに向けて歩いたのだ。同行は2人だけであった。お昼過ぎに着いて休憩の後は辺りを偵察して過ごした。扇沢から来る2人を待った。14時の便では来ず、17時の便でやっと合流できた。もう19時を過ぎていた。皆と遅い夕食をとった。
         低水温の洗礼
 21日はいよいよ黒部川上の廊下の溯行を開始した。同時刻に出発したパーティーはなく、すでに昨日出発したものであろう。東沢出合いまで下り、広い河原に着いた。黒部川の氾濫がもたらした河原である。その流れを渡渉した。渡渉を何度も繰り返して進んだ。幸い抜けるような青空が川幅に広がる。陽光も強い。下の黒ビンガという箇所も日光に照らされて屹立する。ここだここだと確認する。
 低水温で濡れても川から上がるとざーっと水がきれる。歩いてゆくうちに体温で乾いたりしている。撥水機能を謳った下着、中間着に加えて雨具で武装した。他の若い同行者は最強のネオプレンで固めてきた。
 時に腰まで浸かり、口元のタル沢出合いの難所でも首まで浸かって突破できた。水位が減ったお陰である。黒五跡の河原からしばらくは順調で行けるところまで行こうと頑張った。廊下沢、スゴ沢を合わせると上の黒ビンガである。金作谷を合わせると大きなポイントである。ビバークサイトが気になり始める。もう午後は回り、ビバークサイト探しに関心を寄せる。1692m地点に素晴らしいサイトが見つかった。
 焚火の流木集め、米を研いだり、ツエルトを張ったりしているともう夕闇が迫る。焚火は一発で成功したようだ。W君が持参した貴重な日本酒で乾杯した。焚火にあたりながら飯も食べた。濡れた衣類はすべて乾いた。焚火はほんとにありがたい。
       泳ぎで果敢に攻めたF君の活躍
 9/22の朝、4時半起床で様々な生活を済ます。6時を大きく回る。早速沢に入る。渡渉してしばらくでもう深淵にであう。F君がロ-プを付けて上流から泳いで対岸に移り、我々を確保してもらった。次々、深淵が現れて息つく暇もないほどである。しかし、F君は西ヶ洞のトレーニングの反省で低水温対策のためにカヌーイストが使うネオプレンのタイツと上着を張り込んで今回に備えた。そして積極果敢に攻めた。同行者を置いてけぼりにするくらいの気迫に満ちていた気がした。
 最後の深淵では懸垂か泳ぐかで判断が分かれた。最初はザイルを出す試みでW君がハーケンを打った。良く見ると近くには残置ハーケンや残置シュリンゲがぶら下がる。ハーケンは食い込まず、中々打つのが難しかった。強気になっているF君の泳ぎに掛けたが成功に導いた。空身でロープを付けて流れに逆らいながら対岸に泳ぎ着く。足場、手がかりはないので数メートル上流へと岩を手繰りながら死角になっているところでF君が辿り着いた。どうやら足場があったのだ。
 後続はF君の確保で泳ぐのみである。対岸から見ると懸垂でも難儀な所であった。そしてそれからも簡単には突破できない難所が続いたがもう後は勢いあるのみである。
       岩苔小谷出合いでW君は西行になった
 赤牛沢が出合い、すぐに立石であった。岩苔小谷が出合う。W君は学生時代以来、29年ぶりの再訪に感涙を流した。西行の「年長けてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山」という名歌を思い出す。長らえて命あればこそこうしてまた岩苔小谷まで来ることができたのだ。感動せずにおられようか。この谷の奥には夢の平があり、高天原がある。そして岩苔乗越では黒部源流とつながる。ウソ越えと同じ地形が面白い。
 大きな深淵は右岸、左岸を高巻く。初めての高巻ではないか。立石奇岩を過ぎる。なぜかアルファベットの沢をやり過ごすと再び河原になる。そしてすでに大東新道とは並走しているので一般登山者の姿も見える。途端に安全圏に入った気がした。はるかに薬師沢小屋を見た。この夏に泊まった山小屋だ。
 小屋でビールを仕入れに行くが売り切れてすぐボッカが持ってくるまで待った。ここはヘリでは届かないようだ。黒部源流と別れて薬師沢に入る。釣り人と出会うが静かに追い越した。1時間もかからない場所にF君が探してくれた。中州になり、立ち木もある。ここで焚火、ここはツエルトと順調に事が進む。この夜も豪勢な焚火になった。
 結局9/23に折立に着いたのは昼過ぎになった。着替えて有峰林道を走り、近くの亀谷温泉で汗を流した。

コメント

_ こじこじ ― 2009年10月03日 23時05分00秒

パーティーが生みだす不思議な力学というものがありますね。お互いそれぞれの持ち味を活かしながら準備段階から実行段階へと気持ちを盛り立てて行く。その勢いこそが目標を間近に引きよせてくれるわけですね!

_ 小屋番 ― 2009年10月04日 00時36分38秒

 自分のような非力な人間が参加していいかどうか最後まで迷った。きっかけは8/30に南竜山荘の寝室で「下着をどうするか悩んでいる」と同行の人に呟くと「それならファイントラックの製品がいいよ」と横から教えてくれた地元のプロガイドさんの一言だった。帰宅して早速検索でチエックし、好日山荘まで買いに行って9/6の西ヶ洞で試した。結果は上々であった。これで腹が決まった。
 後は雪崩のように実行に向けて前向きになれた。日程を逆算して4日間では無理があったからマイカーのデポを思いついた。これも何とかうまく進捗して21日を待つばかり。
 「掲示板・行ってきました」の写真の陰には各自様々な準備があったこと忘れないようにしたいね。

_ 薮山雲水 ― 2009年10月06日 16時08分56秒

小屋番様突然おじゃまします。薬師沢から太郞平への途中沢装束の皆様に声をお掛けした網代笠を被った者です。
奥美濃の平家岳についてWEBを探していていましたら、このブログを見つけました。偶然上の廊下の記事が我々の赤木沢の日程と重なり読ませていただいた次第です。
広範囲に活動され、その記録が大変参考になります。
沢と薮山が大好きな山屋ですが、奥美濃の沢の情報などご教示いただければ幸いです。
還暦を過ぎた我が身、ハードな山行は少し控え、のんびりと山旅や沢歩きを楽しみたいと思っています。
突然で大変失礼とは存じますが、お気に召されたら情報交換をお願いいたします。

_ 小屋番 ― 2009年10月06日 23時42分46秒

 藪山雲水様、黒部を去りがたく休んでいたら網代笠を被ったご一行が通られたことは覚えています。亀谷温泉でもお会いしました。同好の士に留まって嬉しいです。
 拙いブログですがよろしかったらご覧下さい。名古屋を基点に鈴鹿、奥美濃、中央ア、飛騨と行動半径を広げてやってきました。台高、南ア、北アはまだ少しだけ。サラリーマンには休暇の制約があり、ようやくS・Wに上の廊下がやれました。
 平家岳の沢は福井側の谷をW君達がかなり以前にやったことは聞いています。一応奥美濃の三大名渓と西ヶ洞のような長い沢は終えました。昨年は九頭竜水系の屏風山に突き上げる中の谷でビバークを初体験。ここも長いのでよほど飛ばさないと沢中1泊では厳しい。金草岳のシモットノダンは良かった。横山岳の沢は渋い沢でしたが東峰にドンピシャで上がれて快感でした。
 今年はもう後2つくらいで11月下旬には鈴鹿で沢納めします。豪勢な焚火で温まりながら一杯やる、沢もヤブも楽しいですな。

_ F君 ― 2009年10月07日 06時02分39秒

薮山雲水さま、いらっしゃい。沢上がりに束の間の会話を楽しませていただきました。お互い楽しく山遊びをしたいものですね。また、お越しください。

_ 小屋番 ― 2009年10月07日 10時38分14秒

藪山雲水様のHPなど拝見しました。殆ど似たような活動ぶりです。お住いの稲美町はかつては印南野と呼ばれた万葉の故地。「月の出や印南野に苗余るらし 永田耕衣」を思い出します。通りでハンドルネームも古風なんだ、と納得しました。藪山、沢の西行、芭蕉をイメージしてしまいます。

_ 薮山雲水 ― 2009年10月07日 14時28分58秒

小屋番様、F君様、早速のコメント有り難う御座います。
8月に川浦谷海の溝谷に挑戦しましたが、板取キャンプ場の管理人から平常の10cm水量が多いと聞き一日待って水量が減るのを期待しましたが期待どうりに行かず、海の溝出合いまでしか行けませんでした。
来シーズンもう一度挑戦を目論んでおります。
黒部上廊下の訓練に行かれた西が洞ですが、写真で見るとゴルジュの多い面白そうな沢ですね。
沢の又付近のブナ林も素晴らしいと聞いてます。
雪解けの頃に河内谷から斧内谷を登り左門岳を越えて沢の又源流域で新緑のブナ林を楽しむ計画を考えています。
時期的にはいつ頃が良いのでしょうか?沢筋にはイワナは生息していますか?
アドバイスをお願いいたします。

_ 小屋番 ― 2009年10月07日 16時57分44秒

 藪山雲水様 
 海の溝谷は川浦谷と共に一度は溯行したい希望があります。但しタイトな渓谷なので技術力が問われますね。西ヶ洞は以下をご参考に。「http://koyaban.asablo.jp/blog/2007/09/30/1829494」掲示板には「http://8425.teacup.com/koyabann1/bbs?OF=330&
が写真を掲載しよりイメージが掴みやすいと思います。
斧内谷はまだ溯行していません。沢の又は銚子洞から上がりましたが大変素晴らしいところでした。ブナ、トチの巨木が残されています。又行きたい場所です。5月の沢筋は残雪がかなり遅くまであるのでそれなりの覚悟で。時期的には残雪の状況次第ですが5月中旬以降かな。魚影は期待薄です。但し平日ならば・・・と思います。赤谷でも竿を出しましたが坊主でした。同じ兵庫の釣り師3人が数十匹も釣り上げていたからでした。彼らは平日から入渓していたそうです。つまり居るのですがタイミングが悪いと腕が良くても坊主に。笑

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