西ヶ洞トレーニング山行(黒部川上の廊下遡行実現に向けて)2009年09月06日

 9月シルバーウイークは黒部川上の廊下に決定。そのために遡行データを集め、装備を研究し、アクセスの可能性を探った。今回はそうした事前の準備のテスト編といえるものであった。
 西ヶ洞を選んだのは泳ぎ、徒渉が多かった記憶に基づく。ファイントラックのフラッドラッシュスキンの下着の性能テストの意味もある。結果は良好であった。但し、自身の荷物を担いだ上での泳ぎで息が切れることが分った。このため、ザック内に空のペットボトルを入れることにした。浮き袋の代用である。W君、F君ともに深淵でも恐れずに飛び込んでいくが私は慎重に高巻を選んだ。W君は高巻きの方が危険が多いとはいうが深淵の渦に足を引き込まれないか、という子供の頃の不安が頭を過ぎる。夏休みにいつも水泳をした川の一部に深淵があり、そこは近づくな、といわれていた。お年寄りが自殺したこともある。昔から恐れられていたのである。
 黒部では高巻はリスクが高いようである。事故の多くは高巻きの下降中の転落だという。規模が大きい上にザックの荷が重い所為もある。高巻は川の水位が決め手になるようなので平水以下を期待したい。
 川から上がって全体の日程、食料計画、装備などを話し合う。直前に奥黒部ヒュッテに情報を聞く。普段から川を観ているオーナーの判断が成否の決め手になるとか。X箇所が突破できなければ戻りなさい、というアドバイスも頂けるようだ。これで良ければ実施に移る。
 3人中2人は20日から23日しか休めない。私が18日の夜から出発。19日は有峰林道の朝6時開通と同時に下山口の折立に車をデポし、タクシーで有峰口に戻り、立山室堂経由で五色が原に宿泊する。20日は黒部湖に下り、奥黒部ヒュッテに行く。彼らは19日の夜行で扇沢から入山し、20日の夜までに奥黒部ヒュッテで合流することになる。短い日程の割りに経費が余計にかかるが時はカネなりである。

鮎飯を作る2009年09月10日

 先週の日曜日、板取川の奥で遊んだ帰り、ちょっと鮎でも食べて帰ろうというには早すぎた。いくつか見た鮎料理の看板に誘われながらも指を銜えて帰ることになった。
 日々の流れに押されながらもずっと気になり、スーパーで買った養殖の鮎で自前で作ってみた。先ずスーパーで鮎を探す。小さなスーパーには無く、イトーヨーカドーでもない。アピタにはあった。産地は和歌山産と大分産、少し離れて愛知産が置いてあった。値段はどれも2尾で400円前後、360円前後、700円前後であった。なぜか愛知産が破格の値段になっている。 
 一番安い大分産にした。2パック、4尾買った。自宅ですぐに丁寧にハラワタを出し、ポリ袋に入れて天然塩をまぶす。ガスコンロの天火で強火で焼く。その前に白米3合を洗い、水に浸しておく。醤油はオタマに7部くらい、つゆの素大さじ1杯、日本酒大さじ1杯を入れる。鮎が焼けたら頭、尾びれ、背びれなどを取り、炊飯器に仕込んでスイッチオンだ。手間を惜しまなければしょうがのみじん切り、油揚げ、人参のみじん切りなどを一緒に入れてもいいが今回は純粋に鮎だけの味を味わうために他の具は入れなかった。
 炊き上がったところをしゃもじでかき混ぜて食べると川魚特有の味と香がたまらない。やや多かった塩だがまろやかな塩味を醸す。むしろ醤油を減らすべきかもしれない。
 検索で俄に仕入れたやり方であり、小骨は取り出す人、そのままの人もいて様々であったが私はそのままにした。結果的には出した方がよかった。これまで小骨はあっても天然鮎だったから食えたかも知れないが養殖鮎は育ちがよく大型なので小骨とも言えない。
 ともあれ清流仕立て?などという養殖鮎でも結構楽しめることが分った。次はもっと洗練された味を目指そう。

   六十路まであとひと月や夜半の秋      拙作

映画『みかへりの塔』鑑賞2009年09月11日

 1941年制作。戦前における松竹映画。清水宏監督。山間にある特殊児童を預かる教育施設の物語。家庭生活に馴染まず、社会生活へ入れない子供を三宅邦子扮する保母さんが愛情を注いで育てるが様々なトラブルが起きる。
 些細な顛末の説明もあるが感動するのは水不足で井戸が節水状態になり、打開策として山奥にある池から水を引くことを思いつく。予算不足から公共工事ではまかなえず、子供達が鍬、鶴嘴、スコップを持って溝を掘る工事に携わる。大人でさえ困難な仕事を子供達にも担うことで協力の意義を見出し、精神的に大きな成長を促した。
 苦難に耐える忍耐力と協調心といえば修養の映画みたいであるが清水監督は身勝手で協調姓はなかったそうだ。小津安二郎と同じ年であり、溝口健二らからは清水は天才と言わしめた。役者には演技をさせず、自然に任せたらしい。小津が一挙手一動まで指示したのに対して正反対の作風である。
 生き生きと描かれた子供達の映像が素晴らしい。『小島の春』(1938)でも瀬戸内海の小島に住む子供達が活写されているし、『二十四の瞳』(1954)も同じであるが大人が主役であった。ここでは主役級の笠智衆、三宅邦子らが脇に回る感じ。小津映画以外で笠さんが主役を演じるのも意外。

    モノクロの映画に更ける夜長かな     拙作

日曜日の喫茶店にて2009年09月13日

 日曜日には滅多に都会に居ることがない。だから喫茶店に入ることもない。黒部行きを目前にして休んでいいのか、トレーニングをすべきか悩んだが結局、手持ち無沙汰な日曜日の今日久々に喫茶店に入った。
 入るといきなり大きなだみ声の議論が聞こえた。老農夫然とした人がカウンター席に座り、仲間と見られる4人がボックス席に座って聞き入る。何がテーマが聞き辛いが立候補とか政治の話題のようである。いかにも都会と田舎の混然とした天白区の風景である。老農夫は言いたいたいことを言ったのかすぐに出て行った。仲間も後に続いて出た。日曜日の朝のモーニングサービスがお目当てらしい。
 入れ替わりに御婦人が一人で入ってきた。入口に近い所に座したがすぐに奥に引っ込んだ。すぐに老婦人が入ってきた。この人も常連らしくマスターやママさんとなれ親しい話しぶりである。
 「休みは困るのよー」
 「主人の食事がねえー」
 「それさえなければねー」
 「年金のことがあるからねえ」
と勝手なことばかり話している。まるで愚痴を言いに来たみたいである。定年後も妻のサービスに頼る男が多いのであろう。俺も族とか濡れ落葉などという陰口を聞く。妻が出かけると俺も行く、濡れ落葉のようにべったりくっついて行く謂いらしい。しかし、年金収入をもたらす資金源だから邪険にもできないのであろう。こんな所にはけ口を求めるのである。
 わたくしはホットコーヒーとモーニングサービスのトーストも頼んだ。議論の最中に朝刊を取り、雑誌を2冊ばかり選んで読みふけった。入口からすぐのボックス席の所為で秋風が入り、心地よい。そういえば今日は長袖のTシャツにした。足は素足でゴムゾウリスタイルだからチグハグであるが今時の服装はそうなる。一通りコーヒーを楽しむとお客もいつしか減っていた。モーニングタイムだけの賑わいだったようだ。
 外に出ると神社の境内で掃除をしていた。秋の祭事に向けての準備であろう。先だっての区政協力委員会の会合でも例大祭のチラシがあった。この地域も都市化が進むが長年住んで来た人は神社とともにしっかり根を下ろしている。準公務員の区政が神社の行事に関わるのはうるさく言えば憲法の信教の自由に反することである。区政とはいいながら河村たかし市長のマニフェストにある地域委員会とかみ合わないのは実は町内会であり、かつての村社会の集まりが基層文化として強くあるからに違いない。老幹部は分けがわからないとこぼす。ムラ社会では民主主義とか選挙で選ぶとかでは治まらない。市長も中小企業を経営する親父の息子であり、苦労したといっても人に使われて他人の飯を食ったわけじゃない。庶民の苦労が分るには今一である。
 何もないところに村が出来、神社が生まれ、仏教が広まった。白山信仰では仏は神の化身であるとした。神仏習合である。ムラ社会は町内会に発展し、学区単位で区政協力委員会が束ねる形である。地域委員会はどんな形で地元に習合するのか。河村市長の任期では難しい気がする。自転車で市中を運動するごとく区政の集会にでて空気を察することも大事かと思うが・・・。
 社叢林はマキなどの照葉樹林である。それはかつては村中に広がっていたはずである。村社としてこの地域では格がありそうな社である。
 9月の初めからもう半分は勤めから降りた形であるから何だかリズムが掴みづらい。雑用があるうちはいいがそれももうすぐなくなる。そうなれば山三昧である。そおは言っても登りたい山はもう遠方ばかりであるからおいそれとは行けない。結局何か食いつなぐ仕事をしながら山を続けることになろう。

   秋の昼掃き清めたる社かな     拙作

自転車購入2009年09月14日

 もう30年も前に購入したきり、直しながら乗ってきた自転車を新規購入した。車体に古い住所が書き込んであるので引っ越した頃の22年以上、30年は経過した。こんなに長持ちしたのは品質がよくて錆びなかったからである。当時で60000円以上はしたと記憶している。大切に乗ってきたが輪行のために解体が簡単にできる構造になっている所為で駐輪場で何者かに前輪だけ盗難にあいずっとそのままに放置していた。
 定年後の運動不足解消のため歩き回っているが時間がかかる。買い物には不便なこともある。さりとて車の燃料の節約などを考えると可能な限り自転車で動き回ることにした。近所の個人の店で物色すると手頃な自転車を勧めてきたので購入した次第。篭付き、泥除け付き、14段ギア付きでも55000円だった。しかもオールアルミで車体がとても軽い。走ってみると軽快である。B/S製ならばOKかと財布の紐を緩めた。
 早速どこかへポタリングやサイクリングもしたくなった。何より山以外でいいトレーニングになりそうである。余分な脂肪を落とす、大腿筋を付ける、血圧を下げるなどを期待できる。消費というより投資である。
 
    秋風を切り裂くごとくペダル踏む      拙作

秋の雨2009年09月15日

   
     あじさいに秋冷いたる信濃かな     杉田久女

 朝起きると冷たい雨が降っている。見下ろせばみな傘をさして歩いている。小寒いはずである。まだ9月の半ばというのにもう早々と秋に向って走っていくような季節の移り変わりを見る思いである。
 雨を見て今脳裏に浮ぶのはこの夏に駆け抜けた黒部源流の山々である。おそらくナナカマドはもう紅葉が始まっていよう。この雨が霙か雪か。一足先に冬に入るのを急ぐ北アルプスの世界である。

     啄木鳥や落葉を急ぐ牧の木々    水原秋桜子

 遡行情報はもう充分に集めて検討もしたからもういいがさりとて気温や水温が何度か気になる。持っていく服装が問題である。検索すると9月半ばに遡行した人の記録では水温は5℃であった。源流を突破して水晶小屋(すでに避難小屋)に泊まると翌日はスニーカーが凍結していたという。かつて同じ時期に飯田松川の沢登りで中央アルプスの御所平(標高1700mから1800m)でも沢靴の凍結は経験済みである。夜も朝も焚火で暖まったものである。
 ちなみに岳人10月号別冊2009年版を見ると水晶小屋は9/25で小屋仕舞いになっている。高天原山荘は9/30、雲の平山荘はすでに改装のために取り壊されているだろう。薬師沢小屋は10/10まで、奥黒部ヒュッテも10/12までである。
 幸い富山県の長期予報では大きく崩れることは無さそうである。22日が曇りであるが難関を突破すれば23日は折立に乗り越すだけである。W君は是非赤木沢から薬師沢左又もやりたいと意欲的である。しばれるような沢水に悲鳴を上げながら何とかついていくことになるだろう。
 かつて北海道出身の山仲間が毎年秋になると秋刀魚やマトンをたっぷり食べて体に脂肪をつけるとか話していた。でもないと厳しい北海道の冬を過ごせないからだろう。水温の冷たい北の海で泳いでいた秋刀魚の脂ならば少しは貢献してくれるだろう。今日も秋刀魚を食べよう。これも内側からの準備の一つである。
   
    身に脂つけたし今日も秋刀魚食ふ    拙作

黒部川・上ノ廊下・俳句編2009年09月24日

  
  立山の室堂を発つ秋日和

  朝冷や肩に食ひ込むザック負う

  秋高し遥かに薬師岳が座す

  竜胆やただ一人行く山の旅

  天上の五色ヶ原や草黄葉

  露霜の五色ヶ原を下りけり

  ピッケルで突けば崩るる秋の霜

  虹鱒が釣るるや秋の渡し船

  冷まじや一合瓶供ふ遭難碑

  奥黒部ヒュッテに憩ふ秋の昼

  水澄みし上の廊下を溯る

  徒渡る度に身に入む黒部川

  黒ビンガ秋日に映へて屹立す

  秋の日に乾ききったる枯木燃す

  秋の夜や焚火の傍で酒を飲む

  朝寒や脱皮するごとシュラフ出る

  ロープ付け澄む碧淵を泳ぐなり

  秋時雨奇岩立岩つひに見ゆ

  黄葉や奥の廊下の岳樺

  朝霧や跡形も無き砂州の上

  天に棲む岩魚や秋の薬師沢

  どこまでも岩魚を追ひし秋の溪

  薬師沢左俣右俣も初紅葉

  紅葉や殊に目立しナナカマド

  秋の雲たなびく黒部水源に

  秋の風黒部の山を去りにけり

  折立や菊の花供ふ遭難碑

  菊供ふやあはれ薬師の遭難碑