「黒部川 上の廊下」の研究2009年07月25日

◎関根幸次、中庄谷直、岩崎元郎編『日本百名谷』白山書房(昭和58年)68番目P144-145に記載。
遡行ガイド 
第1日目黒四ダム~平の渡し場7時間又は針の木峠経由10時間東沢出合
第2日目東沢出合 4時間 上の黒ビンガ 4時間 岩苔小谷出合
第3日目岩苔小谷出合 5時間 薬師沢出合 4時間 祖父平
第4日目祖父平 3時間 三俣山荘 10時間 葛温泉
標高差1500m 水平距離15km
登攀的要素は少ない
水量、天候の状況判断、徒渉技術、RFなどの総合的な登山技術を要する
ザイル 7m/mX20mのロープで可
三つ道具は余り必要とされない
8月上旬から9月中旬
◎白山書房編『関東周辺の沢』(平成元年6月)P300-301
4級上 4泊5日
ザイル40m
標高差1300m 水平距離24km
◎岳人554号(1993年8月号)盛夏特集「涼!!黒部源流を行く」
目で見る黒部上ノ廊下溯行君もチャレンジ!!P43-45
・豪雨があれば命を懸けた敗退行となる
・増水で黒ビンガで敗退2回
・ようやく溯行した時は天気が悪く、途中から水量が増し、脱出するのが精一杯・・・・
・入渓前の気象状況の把握が成功の鍵
・奥黒部ヒュッテで状況を伺う
・水量が少ない時でもいきなり股下くらいの徒渉で始まる
・黒ビンガ   昔は半日も大高巻きしたが    水線沿いに腰から胸まで浸かり、へつり、時に淵を泳いで行けば突破できる
・ライフジャケットは今や必携の道具
・事故は優しいところで起き易い
・天候の見通しが立たないときは潔く諦めること。甘い見込みから事故が多発している。
・ザイル操作に習熟した気力、体力充実した上級者のみに許される谷である
・予備日を1~2日設ける

沢登り経験の棚卸し
①最大最長の沢登り:中央アルプス・細尾沢から木曽駒に登る。宝剣を経て三の沢岳への鞍部から伊奈川を下降する。ここで沢中2泊初体験。技術的困難はなかった。
②最高度の沢登り:中央アルプス・三の沢左又遡行。沢中1泊で4級程度の壁も登攀。上部では厳しかった。又宝剣沢も本岳沢の分岐付近で4級程度の登攀を強いられる。岩登りの要素あり。
③難易度の高さ:奥美濃・銚子洞。1度は増水とRFの失敗で敗退。死亡事故も当山域では最高に多い。悪絶さを以って奥美濃の黒部と評される。沢中1泊。
④泳ぎの多い沢:奥美濃・西ヶ洞。入渓してしばらくで深い淵を泳ぐ。へつりも多い。最後は大高巻を強いられた。滝は余りなくてイメージでは上の廊下に近い感じである。沢中1泊。
⑤泳ぎ、へつり、高巻、河原歩き:鈴鹿・愛知川遡行。東海では変化に富んだ沢登りのメッカ。
⑥徒渉の多い沢:南アルプス・小渋川。赤石岳に登るためのアプローチとして長い川の徒渉が昔から有名でw・ウエストンも通過している。時に腰まで浸かる。流れの急な箇所もあった。

結局、上ノ廊下でも沢中2泊であること、泳ぎ、徒渉、懸垂下降、高巻を繰り返すことなどから天気や水量、気温さえクリアできれば何とかなる気がする。
 もっとも不安なのは9月後半は降雪の恐れが充分にあることだ。中央アルプスの御所平(標高1800M前後)でも同時期に2泊したが2日目の朝はフエルトシューズが凍結していた。尾瀬では雪とのことだった。北アルプスのど真ん中なら雪であろう。

北海道の山の遭難事故の反省点2009年07月25日

 トムラウシ山周辺で起きた10名もの山岳遭難の報道も沈静化してきた。落ち着いて考えると全員が遭難死したわけではない。生死を分けたものは何だったのか。
 概要はトムラウシ山のパーティーはアミューズトラベルを通じて参加した男性5人、女性10人と、男性ガイド3人の計18人。年齢は32~70歳。客15人は愛知県5人、広島県4人、静岡県2人のほか、宮城、岐阜、岡山、山口の各県から1人ずつ参加。内5人が自力下山。女性7名、男性1名が死亡。

 ①雨具の下にフリースを着込むなどして風と寒さに自ら対応した。
 ②リーダーが当事者能力を失ったことを知ってパーティーから離脱し、自力下山を強行した。
 ③死亡した人は若いリーダーを信じてついて行ったが体力が続かず凍死した。

 登山では「自己責任」がよく言われる。山での事故と弁当は自分持ちというわけだ。山岳会でも入会時に誓約書を書かせるなどで対応している所もある。
 今回でも旅行の形をとるが自分の生命を賭して行く山旅では自己責任が再確認されるだろう。幼い子供を引率する学校登山ではこうは言って居れないので学校にすべての責任が課される。その結果今や学校登山は姿を消したのではないか。
 ツアー会社を利用するに当ってもコース研究、自分の体力に合うかどうか、適切な装備のチエック、気象判断などは必要である。厳しいがお客様として甘えは許されない。A社でガイドを務めたことがある仲間の話では必要な水さえ持参しないお客が居るようだ。そんな不心得なお客のために余分な水も持参するのがガイドの実態のようだ。またある仲間はお客として焼岳に参加したが雨でも登らされたそうである。
 ある意味で山岳会より厳しく、きつい、危険なのがツアー登山であろう。その背景にはもちろん一つでも多く百名山を踏破したいという思いが強くある。大多数のお客が望むなら雨でも強行登山するのだ。
 だから体力といっても晴れた日にコースを標準時間で踏破できるレベルでなく、いざアクシデントがあればビバークにも耐えられる体力が必要であろう。それは残念ながら加齢するほどに弱くなる。登山歴何十年でも関係はない。自分を知って山を知って危険を回避する知恵こそベテラン登山者のありようだろう。
 今回の事態を観察すると山の危険を知らずに参加するお客と百名山ブームに便乗するツアー会社の弱点も浮ぶ。もっとガイドに権限を持たせること、お客への登山教育も必要と感じた。
 以前から感じたことはこのような百名山踏破の目標を持った登山は依然として危ないことであった。あといくつで満願達成とか、あといくつでもう止めるからその前に何としても、この登山が終ったら引退するとか、70歳までに登っておきたいとか過去にそんなことで死んだ友人知人が多かった。目標があると冷静になれないのである。
 ある人は至仏山だけを残して登り終えたという。こんな余裕と茶目っ気が欲しいものである。