春の蓮華温泉は静寂郷2009年05月07日

 春の蓮華温泉は陸の孤島だった。
 スキーで降りて温泉へ行くなんて初めてのことだった。山の雑誌で紹介された写真をイメージしていたがずっと荒々しい山奥である。ガイドを雇ってでもいきたかった蓮華温泉である。
 観光客は居ない。まだバスも通わない時期だ。7月に通うまではスキーで来るか、スノーシュー、或いは平岩から木地屋を経て徒歩で来るしかない。
 それだけに静寂そのものであった。雪解けと競い、フキノトウが浅黄色であちこちに頭を出す。ロッジの前の広大な湿原にはミズバショウが咲き始めた。
 露天風呂は宿の裏を登ること10分もかかる。山の斜面からお湯が沸き、湯気が立っている。湯船に体を浸すとしみわたるように温まる。とてもぜいたくな時間だ。
 ロッジの中に入ると「秘湯を探して」と題した文が掲げてあった。岩木一二三氏の秘湯賛歌である。秘湯なる言葉も岩木氏の造語とか。共感するところの多い名文なのでメモしておく。

             「秘湯をさがして」
 田舎を捨てた人間だけに人一倍田舎を恋しがる東京人の一人である。幼い頃に、いろりのそばで母のぞうり作りを見、縄をなう父に育てられたからかも知れない。
 しかし、そのふるさとの家も跡かたもなく近代化され、牛小屋はコンクリート建ての車庫に変わってしまった。おいやめいが各々の車を持って走り回っているほどの近代化した日本の社会である。
 いったい、老いゆく自分達がどこに安住の地を求め、どこに心の支えをおいたらいいのだろうかと迷いながらさまよい歩いて三十年の歳月が流れていった。
 旅行会社に席を置くために、つい旅行に出たり、旅と結びつけてしまうが、もうホテルもきらきらした旅館もたくさんだ、炭焼き小屋にでも泊めてもらって、キコリのおじさんとにぎりめしでもほうばってみたいと思うこともしばしば。
 馬鹿らしくて夜行列車なんか乗れませんよ。ジェット機が早くて楽で…。といったかと思うと、やっばり連絡船はよかったなあ…、人間の哀感を知っていた乗物だ。自分たちが必死で求めてきた近代文明に何かが欠けていることがようやく解ってきた昨今の日本の姿であろうか。
 それはたしか昭和四十四、五年頃だったと思う。せめて自分だけでもいい。どんな山の中でもいい、静かになれるところで自分に人間を問いつめてみたいと思って杖をひいたのが奥鬼怒の渓谷の温泉宿だった。
ランプの明かりを頼りにいろり端で主人と語りあかしたあの日が今でも忘れられない。目あきが目の見えない人に道を教えられたような思い出がよみがえってくる。
 公害のない蓮華温泉の星空はきれいだった。
 人間と宇宙がこれ以上近づいてはならない限界のようにさえ思われたのである。細々と山小屋を守る老夫婦の姿には頭が下がった。人間としてのせいいっぱいのがんばりと生き甲斐が山の宿に光っていた。
 ひとびとの旅は永遠に続いてゆく。それぞれ目的の異なる旅かも知れないが…。いづれの日か山の自然と出で湯は、ほのぼのとした人間らしさをよみがえらせてくれることだろう。
 秘湯で歴史を守ろうとじっとたえてきた人々の心の尊さがわかって頂ける時代が帰って来たのである。秘湯を守る皆さんや、秘湯を訪ねられるお客さん方に、私たちが近代社会の中で失いかけていたものは…という問いを投げかけてみたい。
 これからの日本に大切なことは何か。
 それは、人間が共に考えながら、助け合いながら、築き上げ、守りぬく、ぬくもりのある人生の旅ではありますまいか。 ・・・ 岩木一二三
(昭和56年発行第六版の序文より)

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
日本で一番美しい山は?
ヒント:芙蓉峰の別名があります。

コメント:

トラックバック