近江鈴鹿源流行奥ノ畑谷を溯る2008年07月12日

 7月の初めとあってはまだ梅雨も明けきらない。山岳書の校正、俳句の文の資料読み込みなど平素からちまちまとやっていたが金曜日の深夜は一気に片付ける好機であった。5日はこの所たまっていた疲労回復に当てた。
 7/6の沢登りに参加を申し込んでおいた。5日は久々のWハウスに泊まれるという楽しみの方に惹かれていた。本郷でKさんを拾って、Wさん宅に立寄る。そこで例のWハウスなどキャンプ用品を積み込んだ。商用車キャラバンも若干沈み込むほどの大所帯である。車が喜んでいるようだがそれ以上に私が喜ぶ。
 O君たちとは現地で集合した。現地の入口で丁度鉢合わせした。ここは鈴鹿山麓の一角にある高台である。標高はわずか200m足らずなので夏涼しいとは言いかねる。それでも大気は澄み、星空が広がる。星に詳しいKさんがあれこれ説明してくれる。
 テントに落ち着いてまずはビールで乾杯して積もる話を愉しんだ。ほんとにこんな寛いだキャンプ生活は1年ぶりか。いつも仕事場で待ち合わせしてすぐに現地へ直行していたから余りに忙しい山行ばかりであった。鈴鹿は近くて自然が豊富でいいということになった。
 7/6の朝、4時には目覚めた。むっとした熱気はなく、少し冷えた感じがした。寝袋がなくても寝れた。簡単な朝食をすました。テントを撤収。マイカーで竜の登山口を経由して石榑峠を越えた。
 甲津畑は初めてのところである。鈴鹿に登り始めた30年くらい前から意識していた地名であった。あらかた登った今も行く機会がなかった所であった。甲津畑は小さく固まった山村であった。集落の手前で迂回するように左折して奥へと走る。
 やがて藤切谷の銘板のある橋があるところが広くなっており、そこが千種越えすなわち雨乞岳の登山口であった。身支度をして軽自動車でも厳しい道幅の林道を歩き出す。すぐに善住坊の隠れ岩なる名所があった。信長を狙撃した男が隠れていた岩場である。そこが谷に下る近道でもあり、遡行開始となった。
 フジキリ谷は平凡でこれといった見所はなかった。山道は桜地蔵に近いところから橋で右岸に渡る。ここの河原で一服した。ここからも谷通しで遡行した。やはり変わらずであった。それでもどうしても通過できない淵があり、右岸に登った。大峠への分岐をやり過ごし、杉峠と奥畑谷の分岐すなわちユラバシから右折。しばらくして奥畑谷とフジキリ谷の分岐に懸垂下降した。そこはフジキリ谷の核心部であった。ゴルジュが続き手強そうだ。
 奥の畑谷の遡行が今日の目的である。早速、遡行するとすぐに4mほどの滝であるが簡単に巻ける。すると上で人口のダムがあり、がっかり。仕方なく右岸を巻いて上流に下る。しかし、そこからも顕著な滝などはなく、ナメもない。平凡な谷であった。谷歩きに飽きてしばしば右岸左岸の傍を歩いた。昔は踏み跡でもあったのだろう。赤テープも残っている。左には樹木の生えていない広い畑の跡があった。昔は鉱山の人たちが開墾したのであろうか。奥畑とはまさにここではないか。やがてO君がかつて歩いた際の記憶に炭焼き窯の跡を発見。そこから右に行けば奥の畑峠に上がれる。
 今回の遡行の究極の目的はかつての紀行、ガイド、記録にもない奥の畑谷の完全遡行であった。『鈴鹿の山と谷4』でも谷名の項目は省略、『渓谷7』でも独立した項目はない。遡行価値はないとして省略されたのであろう。しかし、雨乞岳に直接突き上げる谷としては奥の畑谷がもっとも自然に富んでいるように思う。
 炭焼き窯跡からは平凡な渓相が続いた。やがて水流が絶えて、樹林帯に消えた。笹を漕いで尾根に上がると見晴らしが良かった。清水の頭が美しい山容である。そして鹿の群れが駆け抜けていった。大峠辺りの笹原は鹿の馬場である。すると先頭で突然、大声が上がった。まるで鹿が飛び上がるように跳ねてきた。立派な角を持った雄しかである。微かな踏み跡は鹿の道だったのだ。私たちを避けて谷に飛び込んでいった。
 ササヤブを漕いで山頂を目指した。胸から上はでているので恐怖感はない。これは鈴鹿の良さである。何となく高みへ高みへとヤブを漕いでついに山頂に立った。だれかが7時間かかったといった。時計は15時ジャスト。こんな登り方をする鈴鹿は贅沢である。下山しても今ならまだ明るい今の時期だけのボーナス期間だけである。時間をたっぷり消費して休日を過ごす、この充実感が素晴らしい。沢から登頂してこそ至福の一時も満ち足りる。
 既に3時である。食事も終っている。しばらくはとりとめもなく過ごした。東雨乞に人が見えた。それも消えるといよいよ我々が消える番かとおもうが今度は鹿が山頂に立っていて興趣が尽きない。ヒグラシの寂しい鳴き声、アキアカネの飛来、蛙の合唱を聞きつつ大峠の沢なる池をやり過ごして山頂を発った。
 杉峠に至るまでも素晴らしい景色の尾根歩きだった。近くの愛知川源流の谷から鹿の警戒する声が絶え間なく聞こえた。杉峠は1年ぶりである。あの時は雨で登頂を断念した。涼しい風が吹き抜けていく。かつて狙撃されて軽い傷を負った信長もここを越えた。我々は西へと下る。
 最初は急な斜面もうまくカーブを付けて歩きやすくしてある。街道たる所以である。思いのほか自然豊かである。やや荒れ気味であるが歩行困難ではない。いいほうである。大木に感嘆し、ヒルに恐れをなし、蓮如遺跡まで下った。その先では往路を帰る。ヒルが付きまとうので休みなく歩いた。

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