木曽御岳・継母岳スキー登山-尺ナンゾ谷を滑る2008年04月21日

継母岳山頂から見た尺ナンゾ谷の一部。
 4/19(土)の退社後、急いで帰宅。着替えなどしてW君の勤務先のある八事へ走る。約束は午後7時半であったが勤務が締切日で長引いてやや遅れた。しかしW君もまだ仕事を引きずっていた。色々あって8時ころになった。西友で夜食や行動食の買い物を済まし名古屋ICに入ったのは9時近かった。中津川ICでR257へ。R41へ合流してから飛騨小坂へ走る。R41から濁河温泉への県道を走るがもう午後11時半。道の駅「ももはな」で車中泊を決めた。まだ30km余りの典型的な山岳路が待っている。強引に走っても1時頃か。そんな訳で車中でビールを飲んで明日の鋭気を養う。12時半就寝。
 4/20(日)午前4時目覚ましがなるが起きられず。週末の仕事疲れがどっと出てくる時間帯。しかし5時起床。5時半、何も食べず出発する。肌寒い戸外である。昨夜、美濃は晴れていたが飛騨はどんよりした空模様。朝霧は晴れるの俚諺を信じて登山口に向う。この県道は何時走っても大変な山岳路である。タイトなカーブ、アップダウン、見通しの悪さ、このドライブだけでも疲れる。
 6時半頃、見慣れたスキー場があるところに来た。突然雪も多くなった。御岳少年自然の家の案内の看板に導かれて行く。するとすでに7人のパーティーが出発の準備中であった。聞くと福井県から来たという。我々も続いて準備。すると岐阜ナンバー車2台のパーティが来た。皆「岳人2006年12月号」の記事を参考にされたのだろう。「ずいぶんメジャーなルートになったんですね」と冗談を交わした。
 7時10分に出発。林道をシールで歩く。一旦雪が切れる。また履く。右へ下って行きそうになり戻って小沢に沿うルートに入る。といっても多人数のスキーの跡があるのでRFの心配はない。最初の小谷を渡る。しばらく雪原を歩いて尺ナンゾの本流である兵衛谷を徒渉する。対岸からはいよいよ上俵山への道程が始まる。最初は急な斜面を喘いでシール登高。登りきると緩斜面になる。赤い布を2本目印に付けた。
 ここから上俵山へは原生林の疎林の中の楽な登山であった。山頂付近でシラビソ?の密度が濃くなったのは天然更新でもあったのか。赤テープを巻きつけて上俵山の表示があった。ここからは国境尾根に沿って南下するがスキーの跡が顕著でそのまま導かれて兵衛谷への下降地点に着く。兵衛谷がくの字形に抉ったような地形で土の斜面が現れている。そこを強引に谷に下った。右岸に渡る。下降地点こそ雪が割れていたが先は雪の快適な道が続いた。
 しばらく先で尺ナンゾ谷が左に分かれるので入る。するとすぐに滝があるがスキーを履いたまま右岸を楽に巻いた。谷幅は数m、両岸も含めて10mの浅いU字の用水路状となって続く。時々はギャップもあるがそのまま登れる。谷の中のせいか暑いので上着を脱いだ。2200m付近から眺める継母岳の前峰や尾根、2400m付近のポイントを通過すると傾斜がきつくなる。心臓の呼吸も速くなり、一気呵成に登れないのが辛い。立ち止まっては呼吸が落ち着くのを待つ。年齢的にもそろそろ限界が近づいてきた感じがする。
 尺ナンゾ谷の源頭まで来るともう滑降してきた。次々と現れる山スキーヤーは壮観でさえある。それに皆さんよく雪に乗っている。上手い。よく鍛えられたスキーヤー揃いである。聞くと先行していった福井のパーティーだった。福井までは遠いので2950m付近で打ち切って下山してきたとのこと。
 最後の凹部を登りきると大雪原が展開。鞍部は近い。福井の7人パーティーはあっという間に滑降していった。その先で「ああー」と奇声をあげた登山者がいた。どうやらそこで打ち切るつもりだろう。大雪原の真ん中で。それは岐阜パーティーの女性だった。すれ違いに「あのー、時計を見ませんでしたか」と聞かれた。「あなたのでしたか」と返事。プロトレックの高度計付きである。上俵山付近で拾ったときはどうせ「岳人」を読んでいる登山者だから「岳人」の落し物コーナーへ投稿しようと話し合っていたのだった。落とし主が見つかってよかった。大いに感謝された。
 我々は最後の力を振り絞って鞍部への登高を続けた。緩斜面になり、心臓も高度になれたせいかもう高ぶりはない。膝を軽く進めてついに鞍部に立った。午後2時だった。さて継母岳登頂をどうする、と相談。2時を越えて登頂に向わない鉄則を今日は破ることにした。私もW君も未踏であったから。
 ただし私はピッケルだけ持って空身にした。W君はザイルも含めてフル装備で向った。北西面のせいか雪はよく締まっている。キックステップが気持ちよく決まる。山頂直下の岩場の急登のみ神経を使ったが無事登頂できた。2時37分だった。壊れた祠が見えた。正しく継母岳だ。続いてW君も来た。登ってきた尺ナンゾ谷が白い蛇のようにくねりながら見えた。凄い高度感である。両側がすぱっと切り立っているのでのんびりした気分はない。撮影すると早々に下山した。
 鞍部では3時を回った。3時25分滑降開始。大雪原の回転はいとも優しい。天上界のゲレンデである。先行者のシュプールを避けて自分のシュプールを描く楽しさ。尺ナンゾ谷に滑りこむ。急角度で滑降して行く。疲れた体と足を考慮してスピードを殺すために山回りターンからスキーの先端を谷に向けてずらす。つまりギルランデのテクで凌いだ。そういう下手な技術でも滝の高巻き地点まではあっという間だった。
 右岸の林間に登り滝をパス。兵衛谷となって幅広くなる。2060m付近への登り返しはシールを着けた。上俵山へはシラベの密林をシールで登る。隙間から見た摩利支天山の偉容にしばらくは見とれた。17時8分、上俵山通過。17時30分徒渉地点へ下降する。ここはシールを外した。先行者の跡はスキーのずらしで木の葉で汚れた雪面が白くなっている。その後を追いかけながら兵衛谷に下降した。徒渉する。またシールを付けて歩く。しかしシールの粘着力がなくなったせいでよく剥がれる。2回目の徒渉地点ではついに暗くなってヘッドランプを点灯。シールにテープを巻くがスキーはシュリンゲで束ねて肩にかけてつぼ足で歩いた。往きには覚えのない歩道が出ていた。先行者の跡もあるので登って行くと無事林道へ着いた。
 林道をそろそろ歩いて19時46分、車道に着いた。12時間半の激登であった。2時を越えて登頂に向ってしまったつけである。楽しみだった濁河温泉には入れなかった。何より無事に下山できてよかった、とまん丸なお月さんが微笑んだ。

写真:http://8425.teacup.com/koyabann1/bbs

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