四国の山を歩く(工石山、天狗森、旭ヶ丸)2007年11月25日

      四国への旅
 11/22夜8時50分名古屋ICから東名高速に入る。行く先は四国の山である。関西までは日本海側の低気圧の影響で小雨である。11/23午前0時30分、名塩SAに着いて車中泊を決めた。商用車キャラバンはこんなとき広大なスペースを提供してくれる。快適な仮眠であった。
 11/23午前4時半、3時間の仮眠で再び本線に入る。山陽道に入り、岡山JCTから瀬戸大橋方面に向う。本四架橋を渡るのは初体験。今まで連絡線かフェリーであった。あっけなく渡ってしまう。本土を離れるときに一旦ETCを通過し精算すると3874円を表示。
       高知・工石山1176mに登る
 高知道の高知ICを出る。料金は6550円也。520kmの走行距離で合計10424円だった。今日の予定の工石山登山口赤良木峠に向う。工石山は高知市民に親しまれた低山である。登ってみてよく分かった。自然が豊富で眺めがいい。位置的に四国山脈を東西に眺められるから広大である。剣山から石鎚山まで眺めることが出来た。しかもわずか1時間30分ほどでだ。一等三角点の山らしい風格と展望を兼ね備えた名山である。玉石混交の中では当然玉である。古くは信仰の山でもあった。
 山頂は北峰と三角点のあるピークの二つあるが展望盤は北峰にある。四国の山岳展望は北峰で楽しめる。但し憩えるような設備はないの少し下って三角点に向う。三角点のあるピークは展望台が設置されている。土佐湾を俯瞰できて素晴らしい。ベンチもあり広く初冬でも温かい小春日和が嬉しい。登山者が来ては去っていく。
 我々も充分な展望と昼食を楽しんだ後、賽の河原を経由して登山口に下るコースを下った。イヌブナ、ヒメシャラなど自然の植生が保存されている。登ってきた登山道には全国の県の木が植えてあった。もちろん愛知県のハナノキもあった。下山にとったコースは反対に元からの自然であろう。ヒメシャラの別名にアカラギとあったから登山口の赤良木峠はヒメシャラの群生でもあったかと思う。
      土佐の高知の名所に遊ぶ
 下山後は高知市内に向った。ペギー葉山が歌って大ヒットした「南国土佐を後にして」に出てくる土佐の名所を訪ねたかった。まず「はりまや橋」続いて「桂浜」とドライブした。途中大雪山の1峰に桂月岳と名を残す大町桂月がここ土佐の出身と知った。渋滞気味の道を次の馬路村の魚梁瀬に向った。
       秘境・馬路村へ向う
 馬路村の魚梁瀬はR55の安田町から左折、一路奥へと走る。安田町がかなり奥深く感じる。それにこの対向車の多いこと。人家が途切れても結構な車とすれ違った。馬路村は山間部の空間の中に明るくあった。馬路温泉が観光資源であり、さっきの車は日帰り入浴の客だったかもしれない。
 馬路温泉からY字路を右へ入ると暗く、羊腸の道が尚も続いた。傾斜がましてダムの堰堤に登って行く感じがした。闇で分からない。山の案内人という大きな看板を見ると下っている。ダム湖の水面に近づいていくようだ。近代的な吊橋が見えた。左は明日の予定の天狗森の案内があった。橋を渡ってしばらくで宿・満木荘への道を聞いた。すぐそこだった。名古屋から約670Kmのドライブだった。
 桂浜を4時に出て6時半に宿に着いた。すぐに外湯のやなせ温泉に入湯しに行く。ぬるぬるしていいお湯だった。何より他の客が居ないのでゆっくり出来る。地元以外の人がここまでわざわざ日帰りで入湯目的で来ることはない。だから秘湯といってもいい。
 お湯をでてすぐに宿に戻り夕食となった。イタドリの煮物、あめごの塩焼き、てんぷらなど地物で彩られたメニューは家庭的で温かい感じがした。ビールもぐいぐい入っていく。酒も2本追加した。ふとんにもぐるとばたんキューだった。
         天狗森1295mに登る  
 11/24、朝からいい天気である。外に出ると天狗森が朝日を浴びている。ダム湖は修理中で水を抜いているために殺風景であった。魚梁瀬は周囲を山に囲まれた秘境であった。古くは平家の落人伝説が残る。落ち延びてきた人が魚を捕るために簗を仕掛けたことが地名の由来という。おそらく豊富な魚が飢えた人々に希望を与えたであろう。時代は移って林業が盛んになり豊富な森林が村の経済を潤した。かつては森林鉄道が人々の足だったという。この宿も盛んなりし頃に増築を重ねて立派な外観を保つが林業が途絶えた今は閑古鳥がなく。たまにはアウトドア目的のキャンパー、渓流釣り、登山者も来るのであろう。約30年前には今西錦司一行が投宿して天狗森に登山している。
 朝7時半、宿を出て登山口に向った。橋を渡り、林道に入る。整備はされているらしく極端な悪路ではない。行けるところまで走って路肩の崩壊した所でデポ。8時過ぎ、林道を歩き始めるが朝日を浴びた紅葉がまことに美しい。全体は植林山であるが林道近辺は紅葉する落葉樹が多い。
 9時過ぎ、尾根の登山口に着いて登山道に入る。この尾根は中々急であった。ジグザグを繰り返しながら登って行くと山腹に突然原生林と見られる大径木が林立する。おそらく木材の用途として価値がない栂の類であろうか。登山道は整備されていないが赤テープもあって迷うことなく登れる。伐採中で倒木地帯の所を通過すると尾根に戻る。
 緩やかになった尾根の上はススキが繁る。これも陽光を浴びて美しい。ここからはダム湖と丸山台地が俯瞰できた。ネットに沿って登り切ると1102の独立標高点のある台地に着く。檜の株があって休むにはいい。
 台地から標高差にしてもう200m弱となった。アセビの群落の間を通過して再び森の中を登る。ここも原生林が残る素晴らしい自然景観である。山頂へはあっけなく着いた。笹の間を抜けるとぽっかり山頂が開かれている。いつもながらの満足感に浸る。1等三角点がひときわ大きく見える。後続も登ってきた。皆満足そうだ。展望は南の装束森が山頂のアンテナ設備のためはっきり同定できた。土佐湾に面した安芸市の目高森、剣山などはともかく他の知らない山々の同定に忙しい。
 約30分の滞在で下山した。Nさんがいつの間にか赤い布を付けていた。これがあると迷わず早く下れる。林道を下り車に戻るとほっとする。魚梁瀬の橋まで戻って右折。昨夜は闇で分からなかったダム湖を見ながら走る。展望台に寄り道して写真撮影もした。ここから見ると丸山台地の背後には名山の千本山がどっしりと座っていた。宿の人たちから「展望台に寄ったか」と聞かれた理由はこの景色を自慢したかったのだと話し合った。
 山間に潜んで暮すような陸の孤島=魚梁瀬よさらば!
      徳島県・小松島市に向う
 ダムを後に下ると左折して馬路温泉へは行かず、徳島県に向った。途中には野根山街道の旧跡があって再び来ることを誓った。装束森の登山口にもなる。古い官道であった。四郎ヶ野峠を下りきると平野部に辿り着く。広大な太平洋が広がった。左折してR55を走る。今日は小松島市で泊まる。宿まではまだ長いドライブである。
 小松島市に入ったのはいいがR55はバイパスに変り、旧R55は県道120に変更されていた。旅館までは中らずとも遠からずのところで道を聞いて何とか着いた。馬路村から約130Kmは走った。今夜は打ち上げということでまたビールで酒宴となった。
     旭ヶ丸1020mに登る
 11/25 今日も早めの出発にした。最後は旭ヶ丸1020mに登るが頂上直下までは牧場のための車道が開通しているから往復約1時間もかからない。ただし自然景観は著しく破壊されている。展望のよさだけが魅力の山である。下山後はNさんが四国八十八箇所順拝のお寺さんに行きたいというので一箇所だけ行った。満山寺である。結構沢山の巡礼者がいたのは流石であった。寺を辞してようやく徳島フェリー港へ向った。淡路島経由の高速道路も選択肢にあったがわざわざ渋滞に飲まれにいくのも芸がないので体が休まるし渋滞の少ない和歌山道、西名阪、東名阪経由にした。フェリーを利用するのは非常に贅沢な旅情気分が出る気がする。
 和歌山港を出てすぐに和歌山ICにはいる。むしろ事故で加太トンネル付近から四日市付近が渋滞した。しかし伊勢湾岸道を過ぎると激減して西名古屋料金所はガラガラであった。西名古屋料金所が大渋滞するというのは昔がたりとなった。