映画「娘・妻・母」鑑賞2007年11月17日

1960年、東宝制作。成瀬巳喜男監督。17人の人気スター出演の豪華なホームドラマとして公開された。成瀬監督は元は松竹であったが松竹に小津は二人要らないと東宝に出されたというエピソードがある。
 一見したところ1941年の「戸田家の兄妹」と1953年の「東京物語」をあわせたような映画であった。いずれも小津監督で松竹の作品である。この映画も結婚から出産、学生時代、成人までの人生の盛りは省略し、家族の母を中心に子供らのそれぞれの人生に光を当てて家族の崩壊が描かれた。  主役の一人の原節子は「東京物語」では次男の戦争未亡人として義理の両親を大切にもてなす役であったがここでは旧家に嫁いだものの倦怠期にあって実家に帰っていたところ夫が交通事故で死亡。未亡人となったが婚家を出されて出戻りの娘として登場している。
 実家は三益愛子扮する母を高峰秀子扮する長男の嫁、森雅之扮する長男が面倒を見ていた。1955年の「浮雲」は高峰秀子と森雅之コンビによる成瀬監督の大ヒット作で「おや、またいいコンビを組んでいるな」と思った。
 老いた母の面倒を誰が見るか、という問題は世界中で悩んでいる普遍的な家庭問題であろう。それゆえに「東京物語」は世界で観られているし人気も高い。
 成瀬監督は長男が実家の不動産を担保に金を借りて妻の叔父に貸していたが叔父は事業に失敗して破産した、というカネの問題を絡ませている。長男には負債だけが残った。だから不動産を処分して借金を清算したいという家族会議からドラマの核心に入っていく。家を処分すると長男も狭い家になり面倒を見るのが難しくなる。母の面倒を見るのは誰か、という問いかけが映画のテーマとして突きつけられる。
 「戸田家の兄妹」では保証の弁済のため遺産は骨董品しかなかった。富裕層であったがたんまり遺産を相続したわけではない。最初は長男が見ていたが嫁との折り合いが悪く長女や次女夫婦の間をたらい回しになる。1周忌で帰っていた佐分利信扮する次男がそれをしって憤慨する。「親子の間ってもっと暖かいものじゃないか」といって自分が任地の中国へ引き取ってゆく。この映画でも原節子が母と共に再婚するという筋書きであったが母が直前になって辞退する。
 成瀬監督は明快な答えを観客に預ける形で映画を終らせた。高峰秀子が偶然見た母あての手紙には老人ホームからのがあったからだ。母にとって一番の気がかりは原節子の再婚だった。それが片付いたのであるから自分一人老人ホームの世話になり家を出る検討をしたかのようである。
 子供達は一人前になって独立し家庭を持ち、働いて各自の人生を歩んでいる。余裕があればともかくなければ仕方ない。誰しも自分が生きてゆくことだけで精一杯なのである。そのことを母はよく知っているのである。「東京物語」でも同じ設定であった。町の医院、美容院、国鉄勤務、小学校教員、OLと世間より少しはいい、という程度の人生である。
 三益愛子の娘の一人草笛光子の夫の母は杉村春子が好演。いわゆるマザコンの夫は母に頭が上がらない。当然母と妻は折り合いがよろしくない。一人息子の夫には兄妹で分かち合うという選択肢がないから母にいやおうなくべったりにならざるを得ない。アパートを借りて母と別居したいという妻をとりなす夫の姿も描いて家族のありようを対極的に問いかけたのである。「こんな場合あなたならどうする」と。
 「戸田家の兄妹」で母に扮した葛城文子も良かったがこの映画の中心であった三益愛子も良かった。共通することはどちらも当時の人気俳優が多勢で盛り上げたことで興行成績もよかったという。やはり成瀬監督は小津監督と同じ松竹に居られなかったはずである。