映画「東京暮色」鑑賞2007年11月12日

1957年制作。松竹作品。小津安二郎監督。
 早春、晩春、麦秋、秋日和、彼岸花、秋刀魚の味、小早川家の秋と季節感を表したタイトルがあるが夏と冬はない。映画の内容から強いて言えば「東京物語」は「今日は暑うなるぞ」とか夏帯、団扇などが出てくるから夏の映画であろう。「浮草」も浴衣姿がでてくるからやはり夏の映画である。「東京暮色」を見終わってこれが唯一冬の映画だなあ、と思った。映画の中も冬であるが物語り自体が人生の厳冬期を暗示していた。
 扱われているテーマは山田五十鈴扮する母親が笠智衆扮する夫が海外の支店に単身赴任している間に3人の子供を置いたまま別の男と蒸発してしまった事、長女は幸福に結婚して一女をもうけたが夫婦仲が悪くて父親宅に別居中、次女はボーイフレンドと愛のない妊娠をしてしまい堕胎したこと、そして死んだこと、蒸発した母親が帰京したにも関わらず円満な再会をはたせないこと、母親とは和解できぬまま再び別離したことなどがこれでもかこれでもかと展開されて見続けるのに忍耐が要った。
 暗い内容がテーマのせいか評論家筋でも高い評価が得られていない作品だった。しかし人生はむしろ苦難の方が多いと思えば一作くらい冬の映画があってもいい。不幸な話をかき集めたような内容だが不幸は連鎖反応しやすいもの。小津さんもそう考えたと思う。感じやすい娘盛りの有馬稲子扮する明子を中心に母親の無念を描いた秀作と思う。
 人生は待つことが90%、待っても幸福が来るとは限らない。妻は夫が単身赴任から帰ってくるのが待てなかった。ちょっとした別の男の優しさにほだされて走っていったのだろう。夫も子供も捨てて。そして見事に成人した娘を見て後悔の念に陥るがもう取り返せない。明子も結局は死に至らしめたのも母親である。だから霊前への供花すら断る原節子扮する姉の厳しい顔ったらなかった。本当は母だもの許してあげたい、だけど許せない自分に泣くしかなかった。
 山田五十鈴扮する母親は北海道へ旅立つ汽車の時刻を教えておいたにも関わらず誰も来ない。それでも諦めきれずにそわそわと車窓を開けて娘らの見送りを期待するが来ない。淋しい結末は覚悟の上とはいえ胸を締め付ける。ただし不思議と落涙はなかった。
 「さよならだけが人生さ」という誰かの言葉がふと脳裏をかすめた。

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