映画「近松物語」鑑賞2007年11月10日

 1954年制作。大映の社名が今は懐かしい。監督は溝口健二である。10/8に中津川映画祭で観た「滝の白糸」と同じ監督である。主演は長谷川一夫(1908-84)と香川京子(1931-)、南田洋子(1933-)ら。
 観たきっかけは香川京子の若い頃の作品であることと溝口作品ということであった。この映画を観る前に黒沢明監督の「赤ひげ」を観たがここでも香川は狂女役で出ていた。脇役だが凄みのあるメーキャップは印象に残る。しかし香川の清潔感のある美人のイメージを大きく損ねる役にがっかりする。何もあそこまで狂った顔にメーキャップしなくてもいいのに。
 黒沢映画のドラマチックな映画作りは世界で高い評価を得ているが小津、溝口、成瀬らの作品を観てきた目には黒沢明の映画ってなんだったの?と疑問符が付いてしまった。 
 そんな口直しの意味もあって観たが面白い映画だった。長谷川一夫は劇場映画、TVでもよく観てきた。香川は当時22,23歳、長谷川は45歳くらいであった。香川の実年齢が商人の妻おさん役に少し若すぎた感じはある。進藤英太郎扮する主人はこんなきれいな若妻がいながら南田洋子扮する女中にもちょっかいを出す。茂兵衛を片思いする南田の役は伏線を張っていく感じで重要なポイントである。
 ドラマの設定は江戸時代。若妻おさんと手代の茂兵衛の逃避行なのであるがもちろん面白おかしく織り交ぜてある。特に峠茶屋までほうほうの体で辿り着いたが長谷川が香川の足首辺りにキスする場面はドキッとさせられる。口づけより愛情が深い。これが溝口流か。
 どこかの川端で長谷川が香川をおんぶする場面もいい。「雪国」では田舎芸者役の岸恵子が着物の裾をガバッと割って池部良の背中におんぶしてもらう。最初は岸恵子も膝を揃えて上品におんぶする演技だったが豊田四郎監督が新橋の芸者みたい、といって気に入らない。ここでは逆に膝を揃えて上品に着物を着たままおんぶする場面があって印象に残る。
 そして香川京子そのものという主張が台詞にある。もう本家にも実家にも帰るのはいやだ、という。封建的な束縛から自立して自由に生きたい、と主張するのである。手代の茂兵衛はなだめる。死ぬ心算だった舟の上で茂兵衛から恋心を打ち明けられて尚二人の感情は高ぶっていき観客も同調し引き込まれていく。時代設定を超えて現代人の心に響く。
 最後は町人大衆の前で縄に縛られて刑場に引かれてゆく二人はしっかり手を握り合っているところがクローズアップされていた。「滝の白糸」同様に恋愛は成就したものの死と引き換えであった。悲恋で締めくくるところが溝口監督の手練手管なのだなあ。
 10/8に観た香川京子主演の最新の映画「赤い鯨と白い蛇」から遡ること半世紀を越える。50年を越える女優業にすごいなあ、と思う。世界の巨匠の作品に出演した女優は少ない。早くからフリーになり出たい映画だけ出るというのも自立した女性のイメージを確立した。おさんの台詞も香川京子を考慮して作られた気がした。時代劇でありながら同時代で受け入れられる所以である。

映画「残菊物語」鑑賞2007年11月10日

1939年制作。松竹。143分という大作である。登場人物はみな知らない俳優ばかりでなじみがないから楽しめるか不安があったが最後はお涙頂戴の新派悲劇にうまく乗せられて落涙してしまった。つまり良かった。「滝の白糸」も新派悲劇であったが美男美女の活躍に助けられている気がする。本作は歌舞伎役者の出世物語で一般的な題材ではない。歌舞伎を知らない観客にも最後まで飽きさせないのは溝口監督の手腕というものである。
 主役の花柳章太郎(1894-1965)は本物の新派の女形役者だった。「滝の白糸」も演じたという本流を行く新派の役者だったようだ。演じた歌舞伎役者の尾上菊之助は2代目で代々受け継がれていく名前である。今は富司純子(1945-。4代目尾上菊之助と結婚、今は7代目尾上菊五郎の夫人)の息子が5代目尾上菊之助(1977-)を襲名している。ここでは5代目尾上菊五郎の養子の役を担う。同じ尾上といっても血の繋がりはない。
 芸の裏付けのない人気に自信を失いかけていた菊之助に森赫子扮する乳母のお徳に真実の芸のありようと人の評判の裏表を諭される。名前先行の人気と知ってお徳に芸に打ち込む心のよりどころを求めて愛が生まれる。お徳も菊之助が立派な役者になるように励ます。森赫子という女優はそんなに美人でもないが声が高くてよく通る。
 しかしお徳と菊之助の間柄が尋常でないと知った親はお徳を暇を与えて追い出す。ここから物語の核心に入っていく。親元を出てまず大阪で芝居をする。1年後にお徳が訪ねて行く。そこで見たのは貧しい生活ぶりであった。それでも二人は一緒に暮らし始めるが頼りにした人が亡くなる。再び流浪の芸人となって落ちていく。旅回りの貧しい芸人生活で心まで荒んでいく。お徳の機転で新聞で見た古巣の役者が興行に来ている機会に訪ねていき菊之助を再び親元に帰したい、と懇願する。 
 受け入れられて菊五郎と和解を果たすがお徳とは別れたままであった。お徳は自ら身を引いたのである。東京での復帰興行は人気を呼んで大阪に興行にでた。お徳は大阪に潜んで暮らしていたが家主が健康が優れないことを知ってそっと知らせた。菊五郎は「女房に会ってきてやれ」と結婚も認めた。菊五郎がいい台詞をいう。名場面である。
 病床のお徳は死ぬ寸前であった。再会して菊五郎は結婚を認められたと報告する。そうと知ってまた世話女房口調で役者の仕事を果たすように諭す。気にしつつもお徳と別れる。舟乗り込みで挨拶する菊之助のアップシーンと死の床にあるお徳が繰り返し出る。お徳の死んだことを知って付き添いが極端なくらい驚く。最後は死を知らないまま挨拶を続ける菊之助の場面で終る。
 歌舞伎を旧派というのに対して新派は明治になって起こった演劇運動をいうらしい。安易な涙をそそりやすい家庭悲劇と書いた本もある。「滝の白糸」などはそのいい例であろう。「雪国」でも「いやらしいそんな新派芝居みたいな・・・」という台詞がある。通俗的と低くみられているようだ。最近でも劇場は涙にあふれている?とかいう映画の宣伝があった。ハッピーエンドでは客を呼ぶ映画にならないのであろう。この残菊物語も花柳章太郎の身のこなしの洗練さと森赫子の熱演が功を奏してヒットした。森赫子ははじめは松竹の女優となったが後に新派の役者に転じた人。台詞の言い回しががなんとなくメリハリがあって新派悲劇の役者らしい。