映画「東京の合唱(コーラス)」鑑賞2007年07月26日

 前に観た「秋津温泉」の岡田茉莉子は1933年生まれ。彼女の父も映画俳優であった。岡田時彦(1903-1934)といって当時の二枚目俳優であったらしい。年を見ると分かるが彼女が1歳の時に31歳で死去。彼女が新潟の女高生のときに偶然映画「滝の白糸」を観て感動。母に話すと父が出演していたことを知った。改めて映画の中の父を観にいったという。1歳だから顔も覚えられないまま死別したのである。「秋津温泉」を観た勢いでいずれ観ようと考えていた「東京の合唱」を観た。岡田時彦は評判どおりの2枚目であった。
 1931年制作。小津安二郎監督28歳の作品。岡田時彦も同じ年の生まれで28歳であった。ストーリーはコメディーでギャグの連発である。サイレント映画だから動作が機敏で愉快で、ウィットに富んでいなければすぐ飽きてしまう。この点は申し分ないくらい面白く笑わせてくれる。
 学校のグランドで体操教師が縦列隊形の教練のシーンから始まる。一人の教師と多勢の学生が繰り広げるギャグの応酬が面白い。字幕がでて今は保険会社のサラリーマンになっている。岡田時彦扮する岡島も3人の子持ちである。勤務先はボーナスの支給日で浮ついた雰囲気であるが同僚の老社員が仕事にかこつけて首になる。労働三法が制定されたのは戦後のことだから戦前は社長の鶴の一声で解雇された。
 もうギャグどころではない。正義感の旺盛な岡島は憤り、社長に直談判に行くが反抗的な態度と見られて社長の怒りを買い岡島も解雇される。そこで職安に行くが昭和のはじめは1929年のニューヨーク大暴落の影響で不況とあってホワイトカラーでも仕事などない時代であった。
 ボーナスを信じて子供に自転車を買ってやる約束を破ったために抵抗にあう。後で根負けして買わされるが。長女が病気になった。長女役は当時の高峰秀子(1924年-)で7歳である。大変活発でおかっぱ頭が可愛い。当時から人気があったらしい。役者暦の長さを思うと感無量である。
 病気はすぐ治るが無職の身に治療費の工面に苦労する。妻の着物を質?に入れて調達した。そこは明るいギャグで過ごす。職安の近くで元教師にあってカレー屋の宣伝マンを頼まれる。チラシを配り、幟を持って歩いたりと慣れない仕事に付き合うが家族に見られてしまう。結局は妻もカレー屋を手伝うが店で同窓会を開いた際に英語教師の仕事が舞い込む。
 やれやれ仕事が見つかった。夫婦は涙ぐみ、とりあえず栃木の学校へ仕事に行く決心をした。しばらく東京を離れるがまたもどれるわよ、と慰めるが映画「早春」でも地方へ転勤の夫を追いかけてきた妻が同じ台詞で慰めたシーンがあったことを思い出した。失職と転勤の違いはあるがサラリーマン人生の哀歓が現れるところだ。
 やがてカレー屋は寮歌を合唱する声で賑わう。カレーのスプーンを配る高峰秀子が健気であり、お客からカレーを一口もらうシーンも和気藹々として愉快である。
 2枚目が2枚目半の役をこなす演技力が素晴らしい。この演技力が小津に買われた。が松竹は2年間で退社し独立、すぐ解散と波乱があって1933年で映画出演は終って1934年の1月に結核で亡くなっている。
 娘の岡田茉莉子は戦後の小津映画「秋日和」や「秋刀魚の味」で活発な現代女性の役をこなす。しかし、2枚目半的な役が岡田には不満だったらしく小津に「私にはどうしてこんな役しかくれないのか」と迫ったが「君のお父さんは2枚目半的な役がとても上手かったから・・・だから君も」と応じたそうだ。でも映画を明るく盛り上げていい役どころであったと思う。小津さんは親子の血のつながりを信じたのでした。