鈴鹿・竜ヶ岳 大井谷を溯る2007年06月18日

 大井谷は竜ヶ岳の近江側の大きな谷である。茶屋川合流地から白谷出合いまでが又川谷、上流が大井谷と呼ばれる。
 6/16は上天気で夜も星が煌いていた。近江側に下って適当な道路沿いの空き地を仮の宿としてテントを張った。夜10時過ぎというのに通行量はまれにある。深夜になって鳥の鳴き声が聞こえた。テッペンカケタカ、となくのはホトトギスである。ああこれで今年もカッコウとホトトギスを聞くことが出来た。鹿の鳴き声と思ったのはトラツグミであった。夜鳴く鳥の代表だそうな。今回の沢登りのゲスト初参加のF君の博識ぶりを垣間見た。
 早朝、目覚めたが空はどんより。フロントガラスには小雨を思わせる水滴がつく。だが雨でも行くぞ、と気合を入れた。まず朝食をとってからF君のマイカーを石榑峠にデポする。私のマイカーで茶屋川沿いの茨川林道に入った。単独を避けたいF君はかねて出合いを偵察済みである。だからすぐに同定できた。
 川に下って又川谷に入る。平流である。周囲は杉の植林も見るが溯るにつれて雑木林となる。所々には炭焼きの窯跡が見える。石組がほぼ完全に残っているものがあった。川には死んだばかりの子鹿の死骸があった。まだ1週間とは経過していない。蛇谷源流で見たバンビと同じ大きさである。
 渓相は平凡であるが岩石はユニークな面白い造形が見られた。机上で調べると頁岩のようだ。ページ(頁)を捲るように剥がれるからそう名付けられた由。昭和44年に三岐鉄道が発刊した『鈴鹿の自然』の鈴鹿山脈地質図によると竜ヶ岳の県境と蛇谷辺りを堺に逆U字形に花崗岩が占める。釈迦、御在所、鎌、入道の西、油日まで延々続く。鈴鹿山脈の近江側はほぼ古生層の粘板岩、頁岩、砂岩、輝緑凝灰岩が占める、と知った。
 頁岩は又川谷でよく見たし、白谷出合い付近は輝緑凝灰岩だろうか。つるつると光沢のある岩石が見られる。白谷は文字通り砂岩であろう。出合いからは待望の滝が適度に現れて楽しめる。威圧感のある滝はなく殆ど直登出来る数メートル以下ばかりである。滝はホールドが確りしているがザイルを出して確保した。滝の岩質は輝緑凝灰岩であろうか。花崗岩のように脆弱ではないが角が丸い岩質を見てそう思う。おそらく伊勢側の蛇谷も同じ岩質であり、崩壊の著しい孫次郎谷、もうち谷、砂山は花崗岩である。
 核心部を抜けると地形が複雑になって来た。谷が細かく分流し始めたのである。右か左か、ルートファインディングに時間を食う。しかしこれは楽しいものである。先ほどLのW君、F君共々竜から落ちてくる滝だ、と同定したすだれ状の滝で落ち合う谷は結局枝谷と分かった。私は侵食が少ないので雨季だけ立派に見える滝と断定した。秋は表面を流れるだけであろう。
 地形図どおりの分岐でつじつまが合う。あとは水量の多い谷を追って溯る。最後の二股は左が大井谷乗越しか。我々は竜に近いところに上がるために右に振った。源流部は急峻な地形になる。周囲の自然林はシロヤシオか。林を抜けると笹の斜面が広がる。鹿の道がしっかりあるので谷を出てそれを追って見た。 
 笹を漕ぎ辿り着いた平坦地にはヌタ場があった。一面のガスで視界はゼロであった。たぶん池の平というクラ(1042m)に近いところと思う。尚もヤブをこぐと立派な登山道に出た。12時50分であった。又川出合いから約5時間かかった。若干登って下ると蛇谷の鞍部である。そこから山頂へはもういくらもない。
 登山口に戻ると朝の雨模様は嘘みたいに晴れた。山を見ると葉裏を返した樹木がうねるようにみえる。風が結構強いのだ。W君にいうとあのペギー葉山歌うところの「雲よ風よ空よ」を所望された。CDから流れる歌に余韻を感じながら山を去った。桑名辺りから眺める鈴鹿にはまだ厚い雲がかかっていた。

 「雲よ風よ空よ」作詞 ヒロコ・ムトー: 作曲 山下毅雄 :唄 ペギー・葉山

1 何を考えて いるんだろう 
  雲のやつ大きな顔して 空にぽっかり浮かんでる
  どこへゆくんだろう 涼しい顔で
  風のやつ僕の手の中を 通り抜けて行っちゃった
  絶えず流れてゆく お前たちには
  心なんてものが あるんだろうか
  雲よ風よ空よ お前たちは知ってるかい 
  ふとした言葉に 胸かけめぐる
  あの切ない さびしさを
  雲よ風よ空よ お前たちは知ってるかい
  訳もないのに 胸しめつける
  言いようのない さびしさを

   (4行無しで5行目から♪)
2 絶えず流れてゆく お前たちには
  心なんてものが あるんだろうか
  雲よ風よ空よ お前たちは知ってるかい
  ふとした出会いに 胸ときめかす
  あの優しい 喜びを
  雲よ風よ空よ お前たちは知ってるかい
  ふれあう心に 夢あふれくる
  ほのぼのとした 喜びを