中央アルプス・蕎麦粒岳完登2007年05月27日

 中央アルプス前衛の蕎麦粒岳をついに登頂を果たした。1985年4月29日に萩原沢岳に登って以来なんと22年ぶりの歳月が経過した。この22年間いつも気になっていた山であった。いわば久恋の山である。
 5月25日の夜8時半、仲間のKさん宅に集まって木曽を目指す。名古屋でもかなりの雨に危惧したが中止にはならなかった。名古屋はなんとか持ち直しているが木曽は雨、ということはありうる。ゆえにまた例の施設で仮眠させてもらうことにした。
 26日は好天になりそうであった。起き抜けに上松の砂防公園に向う。ここでパッキングをし直す。山の雲の様子を窺うがとくに急変はなさそうである。滑川の流れは増水でまたも徒渉が心配になって来た。昨年も徒渉に手間取った。風越山を経る尾根コースか、二の沢の奥深く入ってテントを張るか、この段階でも迷いつつ思案しながら歩いた。
 滑川本流でこの増水ではまたも藪の中の踏み跡を歩くことになる。重いザックを背負ってのアルバイトは短いほどいいので滑川本流の川原でテントを張って今日中に山頂を往復する案を提案した。登頂に手間取って暗くなっても難関のヤブをくぐらなくてもいい。ベースキャンプがあるからだ。BCがあるゆえにきりぎりまで行動が可能になる。
 昨年の撤退があるのですぐに乗ってきた。勝算はやってみないと分からない。ヤブの中のルートは昨年の学習効果でスムースであった。滑川に降りてすぐの川原に今日の行動に必要な食料とビバーク用品のみに軽量化して出発した。7時50分であった。
 二の沢は出合いはすぐである。昨年の川に跨る倒木はまだそのままであった。激流はとても踏み込めない。助かった思いである。ここを突破すればあとは二の沢沿いの左岸の踏み跡を追いながら詰めてゆく。大きな岩の所から沢身の石飛で詰める。沢が傾斜を強めてきた。左からの枝沢を2本やり過ごすと右からも沢が合流してくる。この沢は萩原沢岳の直下から流れる。我々は本流を詰めた。雪渓が現れた。傾斜が一段と強まったところから右の尾根に取り付いた。コルからこの尾根には微かな踏み跡があるはずであるが沢を詰めすぎて尾根を左よりに登った。ここからは大きな岩が出てきてしまうので若干下ってコルにつながる浅い沢を探した。ついに二の沢のコルに達した。普通は下るより登る法が楽であるがここは逆である。
 コルで一休みすると5月のさわやかな風が吹きぬけた。樹林越しには中央アルプスの稜線が見える。萩原沢岳への踏み跡を追いながら傾斜が緩んだところから蕎麦粒岳の方へトラバースして鞍部を目指す。最初は樹林帯をするする通過できたが鞍部が近づくにつれて藪の密植状態に音をあげそうになる。
 しかしはまり込んでしまった以上丁寧に絡まるヤブを突破するしかない。3人で励ましあいながらついにヤブを突破。稜線には微かな踏み跡や伐開の跡が見られた。鋭い斧かナタ、或いは鋸で枝を払ってある。少し危険なガレと痩せた稜線を辿って蕎麦粒岳らしい高みに立った。らしい、というのは山頂標がないからだ。ただし、石の表面に何か印が彫ってある。何の標か分からないがここを山頂としたのである。まだ先にも同じような高みは続くがここが一番高い。
 ゆっくりとはして居れない。今度はヤブに懲りて萩原沢岳を目指す。今来たルートを戻って鞍部からはトラバースを止めて山頂に向った。それの方が優しいように見えた。以前山頂から目指したときは藪に閉口して戻ったが今日は結局気合が入っているからであろう。
 萩原沢岳経由を喜んだのは同行のF君である。この山は三角点もある立派な山である。22年前の岐阜薬科大の木の山頂標がまだ残っていた。ここから眺める三の沢岳はやけに立派に見える。右隣に見えるのは空木岳、左となりは木曽駒、木曽前岳、麦草岳である。 
 ここからの蕎麦粒はより低く見えて22年前も行く気が失せたものであった。その後も気合が今一は入らなかった。しかし執念は恐ろしい。K,Fという屈強の同行者が現れて落とさねばならないと思った。一緒に登っておかないと彼らに先を越される気もした。今登らねば後誰が一緒に登ってくれるのであろうか。一期一会である。
 さてすべては終った。後は安全に下山することである。山頂からの踏み跡を丹念に追いながらコルに着いた。コルからは踏み跡を拾いながらスムーズに下れた。二の沢本流はとんとん拍子に下れた。そして難関の滑川の徒渉地点に着いた。もう日没してしまったが滑川の奥の空遠く宝剣岳が夕日に照らされていた。
 テント場でも設営中はまだ明るかったが次第に闇が迫ってきた。素晴らしい話題をつまみにして夜が更けていった。
 27日の朝は4時過ぎには明るくなる。ゆっくり起きて軽く朝食をとってテントを撤収した。帰りもヤブコースを辿ったが気が緩んだせいか若干迷走気味になった。それでも勘で踏み跡を探り当てて何とか砂防公園に戻った。
 上松の町は通らず、木曽古道の古い山郷である吉野を経て東野に向った。東野の一角からは昨日の蕎麦粒岳が良く見えた。ここからはほんとに蕎麦の実を立てたように見える。静かな山村は花が一杯咲いてまだ春のよそおいに思える。すでにコデマリの花は朽ちかけ、紫木蓮、ドウダンツツジが花盛りであった。