岸恵子「パリの空はあかね雲」を読む2007年04月22日

 岸恵子がフランス人の夫、フランスの生活に溶け込むには余りにも日本を背負い込みすぎていたであろう。それはギクシャクした文にも現れている。フランスの島なのに突然越後獅子の三味線の話から映画「雪国」の思い出につながったり・・・。フランス料理のコース中に思いがけなく刺身や蕎麦が出されるようなもので最初はついていけなかった。
 かつて大島亮吉、尾崎喜八、大江健三郎ら仏文の臭いがする書物を読んだが皆途中で投げた。小津本でも蓮実重彦「監督 小津安二郎」は中々取り付き難い。仏文学の影響のあるバタ臭い文は体質的に合わないのかと思う。高峰秀子「私の渡世日記」の達意の文章から来る歯切れよさ、池部良「心残りは・・・」の軽妙洒脱な文は豊潤な酒を飲むようにしみわたるのに。
 一ヶ月余り持て余していた「パリの空はあかね雲」を一気に読み終えることが出来たのは前日の「絢爛たる・・・」の中で高橋治が岸恵子を激賞していたからである。それに解説も高橋治が書いていた。彼は岸恵子に片思いしていた、と打ち明けている。ヨイショしてもらったお陰で拾い読みした所ともつながって何とか読了できた。 
 今ひとつ分からないのは岸恵子「私の人生アラカルト」の中で深田久弥の「津軽の野面」を北畠八穂のとしていることである。深田さん側の評伝では共同作業となっている。深田さんを作家として名を高めたのも「津軽の野面」であった。
 3/31越後の山に行った際横浜市から参加しておられた深田クラブのU氏にこの点を聞いた。すると「岸恵子は高校の一年後輩なの、面識はないけどね」という。「へえ、そうですか岸恵子がね・・・」、と言ってから「あれはやはり北畠八穂の作品ね」と言われた。でも現在でも深田久弥著となっていますよと、食い下がり著作権の移転の話に飛んだが「中々移転は出来ないわね」、との返事。最近出版された評伝は「深田さんの側に立脚して書かれている」、とも指摘されて岸恵子の断定的な書き方に文学的な深さを感じた次第である。
 解説で高橋治はしきりに女優の余技ではなく作家としての仕事なんだと強調している。深田と北畠の関係もすべて斟酌した上で断定しているのであろう。昭和20年に「津軽の野面」を読んで文学少女になり憧れていた作家となった岸恵子の才気を見た思いがする。

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