宇連山覚え書き2006年08月12日

 8/6の清水沢右俣からの宇連山は印象に残る山行であった。会心の山だった、とHPの掲示板の速報にも書いておいた。ハイキングの山も登り方で秘境的な雰囲気を味わえるのである。今ひとつ書き足りないことがある。
 それは単なる遡行記ではなく廃道歩きでもない。地学的知識の裏付けである。地学とは今の現象から過去を実証する学問である。今日は中央の沢への出発を雷雨のため遅らせたのでヒマができた。それで近くの図書館で横山良哲先生の本を片っ端から読んでみた。
 我々が歩いた清水沢の地質は1600万年前の設楽火山活動で堆積した溶岩であった。白っぽいのは凝灰岩という。黒い色の滝は水の流量がすくないので黒い苔が付着したものであろう。あるいは松脂岩であろうか。予備知識を持ってみれば都度解決できるが下山してからでは遅い。だがナメ、ナメ滝は凝灰岩であろう。人が工作したんじゃないか、と思う小さなポットホールも見られた。
 今の鳳来湖は人口湖である。設楽火山が活発に活動して設楽盆地が誕生した。ここは海底だったともいう。
 以前に穴滝という滝があったことを知った。奥三河の本の地図にはあった(三河名所図絵)。しかし現地に来ても看板があるわけではない。だから今まで何回となく通過しながら気がつかなかった。今回帰りがけにちらっと見た第10岩脈の一端がダム湖の水面に顔を出していて気がついた。設楽町と新城市の境界であった。横山先生の本には南北設楽の界、とかいう表現であった。
 穴滝はダム湖に埋まってしまったのである。ダム堰堤から数えて10番目の岩脈が宇連川を堰き止めていた。それが侵食で滝の体をなすようになったのであろう。今は滝つぼも埋まったがかつてはウナギが沢山獲れたらしい。
 廃村宇連の背後にある山だから宇連山という。かなりな源流に炭焼き窯があったのは意外であった。昔は炭の原木となる落葉広葉樹の林であった。宇連の人たちはせっせと山に通い炭を焼いて海老へ運び出したであろう。
 振草村誌では宇連山をガンゾモチフデ山という別名も記載していた。モチフデは村総持筆の略記で入会山の意味らしい。だがガンゾが分からない。設楽町誌村落誌の絵図では宇連山の位置らしい山に「がんぞ(?)う」と書いてあった。?は字体が分からないで多分ということである。
 今回清水沢に入って見た後で思ったことはガンゾはガンドのミスではないか、書き間違い、聞き間違いではないか。では「ガンド」とは何か。角川小辞典の『地名の語源』にそれは溶岩という意味が書いてあった。
 昔この地域の山人に溶岩=ガンドという語彙があったものか。辞典に記載されるからにはポピュラーな語彙であろう。
8/13追記
先日丹羽基二氏の死亡記事を見た。氏は有名な地名氏名の語源の研究家であった。氏の著書でガンドを見てみるとやはり溶岩とあるがかっこ書きで三宅島とあるから活火山の謂いである。設楽火山は学問的には火山ではないそうだ。