宇連山の沢・古峠・廃村2006年08月08日

 8/6にやっと清水沢右股を完全踏破できた。もとより困難な沢ではなかったが単独では無理で諦めかかっていた。おまけに再三試みてきた廃村宇連の峠道も辿ることができた。川売側は以前に1度成功し最近2度失敗しているので一発で下れたことは嬉しい。
 期待していた廃屋はもう倒壊してしまったであろう、一戸も見えなかった。代わりに杉が高く伸びて天を塞ぎ薄暗い林を作っている。
 海老峠からの峠道は看板の立っているところから少し仏坂峠よりに下り、左よりに山腹を横断していく。最初の尾根では右に曲がる。何と赤いペンキの標まである。踏み跡は比較的確りしている。ジグザグを描きながら高度を落としていくが地形図のイメージで谷沿いの道かと思っていたが山腹の横断がかなり長く続いた。宇連山の方向へ戻っていく感じである。一部崩壊箇所もあったが標があって迷うこともない。水の涸れた沢を渡ると細長い尾根の上を歩き始めた。これは東海自然歩道のピークから下っている長い尾根である。
 よく伸びた杉の木立の中を下っていくと右から涸れた大きな沢に出合った。宇連川の源流である。沢沿いのいい道を下ると右へ渡渉する分岐がある。渡渉するとまもなくで車道に出た。諏訪神社前で小休止した。
 周囲は石垣が見えるがかつての家のあった跡であろうか。今は杉の林になっている。ぽっかりと明るい空間は川合に在住し出作りに来ている林家の家でかなり大きな構えである。車で訪れたときは林家の母子2人で諏訪神社の清掃をしておられた。信仰心の篤い家は永続するのであろう。
 設楽町教育委員会が昨秋出版した『三州神田覚書』によると戦前から請願していた宇連分校は戦後の昭和22年になって建設されたという。そして昭和32年にはもう閉校になったらしい。豊川用水建設のために鳳来湖ができたのは昭和33年であったという。昭和31年には昭和の大合併で旧振草村が解村となり、多くは東栄町になったが宇連と神田は設楽町になった。のんびりした奥三河に訪れた山村の歴史の激動期であった。
 宇連川に沿って舗装路を歩いて下る。宇連橋まで小1時間の歩きであった。